神様に かみついた玉井先生

9時すぎ、美祢市を走っているとき、きのうご葬儀を仕えられた金光教早島教会の奥さまから電話がかかった「きのう慌ただしくてあんたとゆっくり話ができんかった…」10分ちかくの話になった。


大きな教会ではなく、竹やぶの細い道を上がって小さい教会が早島教会。週のうち2~3日は金光教本部ちかくで創業した金光出版で仕事をしていた。泊りは福山と倉敷に常宿があった。倉敷から近い早島にお参りしては囲炉裏の部屋で信神の話を聞いた。

玉井先生のご信神を広く世に出したいと思うようになり、先生が毎月のお祭りで40分ぐらい信者さんに話される内容を録音して本にした。1992年秋が初版。

難儀を抱えた親子のことを神様に祈るなかで「神様、このまま親子をほっとくつもりか。それでは、わしは承知せんぞ!」と談判された。この場面が玉井先生真骨頂と思い「神様に かみついた話」と題名を私は決めた。表紙デザインも「かみつく」ようなものを頼んだ。


とにかく売れた。けれども名もない田舎の先生の講話が、名もある教会の先生の本より売れるので中傷する言葉も耳にしたが聞き流し玉井先生シリーズを次々に世に出した。

広島掃除の井辻さんや庄原の林さん(いまは市議)など多くの仲間を囲炉裏の部屋に案内した。私の娘婿も早島参りをしていた。そのような思い出を奥さまが話された


農園生活をはじめて、時間的にも金銭的にも余裕がなくなったので「なかなかお参りがかないません」と電話で申し上げたら「参らんでええ、あんたのことは毎日神様にお願いしておる。あのな、夜に布団にはいるじゃろうが、布団のなかで天井に向かって、きょうも元気に働きました、ありがとうございます。それで神様にあんたはつながる」と励まされた。

奥さまが「先生が慕っておられた信神の師匠とも今ごろはあって喜んでおると思うよ」と心境を話され終わった。


美祢市の山奥で3脚に望遠レンズをつけたカメラを据えて、双眼鏡を肩からかけた男性がいたので声をかけた、彼の車は神戸ナンバー。

この山あいに送電鉄塔を建てる計画がもちあがり、主に野鳥の生態系に影響があるか否かの調査で、きょうから3日ほど毎日8時間観察する。タカ・アカショウビン・ヤマセミなどの保護が調査の目的と説明してもらった。