巣立ちに感動した

農園ツバメの巣立ち

写真下の右端はつねにエサをもらいそびれて成長が他の4羽と比べて小さい。

きのう早朝、賑やかに4羽が巣から飛び立った。そのあと1羽が巣に残っていた。親鳥は巣の間近を滑空しながら声をあげている。いつものようにエサは運ばない。そのうち兄弟4羽も巣の周囲を声をあげて飛び回りはじめた。とうとう巣から落ちるように飛んで地面に落ちた。この場面にカラスがおれば間違いなく食べられる。

やっとの思いで雨どいまで飛び思案の様子に見えた。兄弟4羽と親鳥2羽が雨どいの周りを「飛べ!」と励ましているような声でしばらく励ました。そのあと雨どいから飛び立ち家族で農園の空を何度も旋回した。


きのう鍵山記念館3周年。私は掃除をすれば会社の業績があがることを期待して便器にむかった。

やっているうちに「私が変われば会社の業績もかわる」ことに気がついた。その私が変わるための掃除と思うまでに何年もかかった。


まだInternetがない時代だった。Yellow Hat鍵山社長がお掃除に招かれる全国各地に都合をつけて参加をして生き方を一心に学んだ。

当時お掃除の会はしっかりした組織でもなく、鍵山社長を師とあおいでいるメンバーがおられた。

そのひとりに長崎県からとんかつチェーン店を展開されている社長がおられた。鍵山社長の側近中の側近で頭のキレと笑顔は鮮明に記憶している。


私にはわからない諸事情で掃除の会から離れていった。諸事情をしっかりわからない人たちが良くはいわない。


たしかに「良くいわない」その場面に私も出くわしたこともある。それは下関のお店で支払いについて女将に暴言を吐いたこと。


一方で「宇部でうまいお店を紹介してください」と言われ、港町の「キャプテン」に行った。客は私ら二人だけ。奥さんは背中に赤ちゃんを背負って接待。

ずいぶんワインを飲んだあと「このお店で一番値段の高い赤ワインをください」とボトルを頼まれた。楽しく飲んだ。支払いに私が立ったら制してレジに行って「このお店はとてもよかった」とあの笑顔。なにがとてもよいのか私には理解できなかった。


奥さまが働いておられる姿がとてもよかった。


レジで奥さまは嗚咽した。子どもを預ける親戚も近くにはないから、お店の雰囲気ではない姿での接客。お客様は減った。もう店は続かないと主人と話していたときの「奥さまが働いている」の激励にキャプテン夫妻は立ち上がった。

いまでもあの場面はキャプテンの大黒柱。


私が農園をはじめる前にお祝いをさげて立ち寄ってくださった。

私の手をしっかり握って「たまごの営業はたまごがやる。それをあなたに伝えるために来ました」と。その握った手から伝わったことが農園の大黒柱。


なにかのはずみで組織(仲間)から外された人はたくさん見てきた。私も「あの人は」と敬遠してきた人は多い。けれども「あの人」は当時の歴史を紡いでいた。