きのう菊川画廊におじゃまして約1時間。
お茶を入れようとされる菊川さんに「お茶はええから」と向き合ってもらった。
その会話を少し書いておきたい。
松田正平画伯と菊川さんの親交は、師弟というより親子を感じる。
20数年前「祝島に行かんか」と菊川さんからの電話。松田先生のスケッチ旅に菊川さんは同行するらしい。当時の私は零細企業の社長「行きたいが、いつ帰るかね」と聞いたら「わからん」と言うのでお断りした。
その祝島はどうだったかと聞いた。
少ない島民が生活しておりほぼ自給自足。つまり海と山を生業としている人にわかれてお金を使わずに生活が営める島だった。
民宿は一軒。そこに着いて「菊川、好きにせい」と先生はスケッチに出た。好きにせいと言われても、お金をは少しはもっていたが使う店がない。
風景を眺めながら9日逗留して「菊川、帰ろうか」と島を出た。
海を眺めた生活を終えて柳井港に着き。JRで戻る途中に菊川さんの身体がとても重たくなった「先生、身体の具合が悪い」と言うと「ワシも同じじゃ」つまり、時間を気にかけたり駅で人とぶつからないよい気を配ったり、さまざまなアナウンスが耳に届く現実社会に戻った。それで身体に異変がおきた。
それにちかい体験が私もある。内蒙古自治区ホロンバエル草原を一週間旅をしたとき。お金を使う店がない。蒙古族の人は時計を持たない。大きな朝日が地平線にあがり、真っ赤な夕日が地平線に沈む。娯楽はファイヤーを焚いて馬頭琴の音色。
喧騒の北京空港に着いたら体調がすぐれなかった。
貨幣のない縄文時代を生きた人がどれだけ人間らしい生活をしていただろうかと。そこに話題は行き着いた。
著名な画家の作品。
サインはない。ないけれど画廊にかけていると人の足をとめる作品。
「そう生きましょうで」と言わないが。菊川さんの気持ちがわかった。
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