スペシャルオリンピックスを中村勝子さんが日本中に広めたいという大きな願いを抱いて熊本から動きはじめられた。その情熱は凄いものだった。
ある時、勝子さんのお宅で勝子さんグループ作戦会議を末席から見ていたら「よし、知事にこれから掛け合いに行こう。足立さんの車も使わせて」と熊本県庁に乗り込んだ。
もちろん勢いだけでは面会は無理だったが、こちらの要望をきちんと受けてくださる職員さん何人かが応接室で聞いてくださった。
烈婦の情熱を受け止めた方のひとりに鍵山秀三郎(当時のYellow Hat社長)がおられた。
「日本を美しくする会」は岐阜県恵那市からはじまり全国各地に鍵山社長の掃除で心を磨こうに賛同される人々が立ち上がっていた。
鍵山社長はスペシャルオリンピックスの精神・価値観に「そうだ!」と共感され、各地で催される掃除の大会に勝子さんを講師として推薦され勝子さんは全国各地から講師依頼が届いた。
その烈婦が「大丈夫ですか」と心配されたのは私が旗を挙げた「中村勝子教育講演会」200人以上の人が小郡町公民館に集まってくださり山口県にスペシャルオリンピックスの種が落ちた。
新本淳貴君のポストカードが完成して私の手元を離れた。
そのことをお耳に届けておきたい鍵山先生と中村勝子さん。
お電話を差し上げた。
鍵山先生にはポストカードスタートのときお耳に入れた。それが完成して私の手元を離れましたとご報告をさせてうただいた。はじめは弱々しい電話のお声がだんだんお元気になり、あの笑顔が思い出された。
勝子さんの第一声は「会いたかね」と。いまは自宅から出ることは少ないが「あんたが来るなら旨いもの食べに行こう」と誘われた。
淳貴君の個展案内を送ってくれと言われた。
美祢市の国道を歩くカメに遭遇した。レスキューして萬代さん近くの橋から落とした。
竜宮城はええから、欲は言わないロト6の2等でええからと念じた。
そのカメはとてつもなく臭い。車内もハンドルも両手も臭い。萬代さんの家で石鹸を使わせてもらった。
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