幸せを感じた京都の旅だった

7年前、母がお国替えした同時。私夫婦は老後の京都生活を描いていた。関西出身の家内は山口県より関西圏に身内がある。長女の照美さんが何より京都。私は山口県のほうが知り合いは多いが、都の生活も人生のおまけになるのではないかと思っていた。


それが理由で金光教太秦教会の奥城に母を納骨させてもらった。


7年が経ち、農園で休みなく私夫婦は働いている。ということは京都は夢になった。

昨年、古希をむかえるとき先発隊で京都に行かせた母のことをなんとかしたいと思いはじめた。


今回の京都は、母のお骨を農園に連れて戻ることだった。今村明さんに焼いてもらった骨壺を抱いて帰った。汗を流してビール。その一杯は母に供えた。


太秦教会は嵐電太秦駅のそばにあり遮断機のチンチンが12時までひっきりなしに鳴る。酔っぱらいがワイワイ歩く。パトカーがサイレンを鳴らす。

日ごろは静寂の農園で寝ているので睡眠不足で4時起床。身支度をととのえて5時に外に出た。渡月橋まで歩いて片道30分。かなり広範囲に歩いて7時に戻った。


新保保子さん(萩往還など計画され、新保隊長と呼ばれている)の長男、綱基君(立命館大学法学部二回生)を太秦駅8時に来てもらい照美さんと3人で京都散策に出発した。コウキ君は秋吉台をお母さんと一緒に参加したので面識はあった。

チラチラ話した内容で太秦にとても近い場所が下宿ということで照美さんを紹介の京都散策。


食事を済ませ、1時過ぎに私は新幹線で山口、二人はJRで太秦にむかった。


照美さんと2日、親子の会話がたくさんできて幸せな京都だった。