野中4丁目の思い出

⏹️きのう「あだち美術館」を更新しています。どうぞご覧ください。


土曜日の萩市。今朝は早めに農園を出た。

萩市三見の石橋がアジサイで彩られているだろうと思いそこまで足をのばすことにした。

小雨のなか行ったがもう少し先のようだった。来週の土曜日は京都行き。萩市は金曜日に配達変更になる。そのときもう一度立ち寄りたい。


きのう午前はパーキング騒動だった。

午後1時に宇部野中4丁目の菊地ミートフーズ。社長の菊地さんとお会いする約束があった。

スペシャルオリンピックスでバスケットコーチをされており人望があついように聞いていた菊川さん。お店で農園たまごを販売したいという申し出。


その野中4丁目は私にとっては幼稚園時代にさかのぼる場所だった。


山大工学部で母は用務員だった。官舎という長屋は5~6軒の学生寮の大風呂ボイラーマン家族や営繕という何でも修理ができる器用なおっさん家族など大学官舎の片隅で共同便所と風呂だった。  


学生の売店があった。おもにパンや牛乳など食べ物が多かった記憶がある。そこには氷のかたまりを上において、下の食品を冷やす冷蔵庫があった。

売店は「桜井商店」老人夫婦が経営していた。そこに行って挨拶をしたら売れ残りのパンなどをもらえた。


その長男が野中4丁目に桜井商店を開業した。現在の高専グランド横。その頃、官舎の風呂がなくなり桜井商店近くの「波木温泉」温泉といっても常盤湖から汲み上げた、今では通用しない温泉。その経営は県議会議長まてつとめた波木多平さんだった。

脱衣場にはノミが多く、衣類をしっかり叩いて着るように女風呂の母が大声で私にいつも言った。 

風呂からあがり大広間で母を待っていると波木さんが「おお!進か」と私を抱き上げて膝に座らせ、番台のおばさんにジュースなどを持ってこさせて「お前の父ちゃんに世話になった」と私にわからない話が始まった。母はそれが嫌だったようで「帰るよ」と私の手を引いた。

 

夕食で食べられる弁当のようなものを桜井商店で買って、当時は舗装されていない夜道を帰った。冬、洗髪した母の髪の毛が凍って大笑いしながら歩いた。


菊川社長に「ここは桜井さんの物件でしたね」と言うととても驚かれた。


明日は海峡ウォーク30㎞。