人も私も成長する

1939年に満州と蒙古国境で勃発した「ノモンハン事件」当時は世界世論を考慮し戦争と表現せず「事件」「事変」と公表した。

先日、カメラで現地上空から戦いの地形や痕跡を調べその後取材クルーが四輪駆動で砂漠を走破して現地を調べた。調べる目的は、あの地に莫大な戦力を集中して日本軍を壊滅する作戦はどのようなものだったか。


必ず線路を敷いて戦車に兵隊を送り込んでいた。その線路のレールと枕木を止めた犬釘を探した。レールはないが犬釘はたくさん掘り出された。そして関東軍の戦車を阻止する数メートルも掘った跡が延々発見された。数万人の兵隊を駐留させる兵舎跡もあった。


日本軍にとっては勃発でもソ連側にすれば用意周到の開戦だった。


関東軍戦死者約2万人、行方不明は9千人。4ヶ月の戦闘で日本軍が失った兵隊の数。最近、ロシアの資料からそれを上回るソ連兵士の戦死者があったことが明らかになった。数万人が国境で命をおとしたノモンハン事件。


前の下関市長、中尾さんが唐戸魚市場常務取締役だだったとき、30年以上前かもわからない。2人で旧満州を1週間旅をした。

北京空港から内陸部ハイラル空港までプロペラ機で約2週時間。その機内にご年輩の日本人男性が3人同乗されていた。

「どこまで行かれますか」と狭い機内でお声かけした「ノモンハンです」とだけお返事された。当時の私は「ノモンハン」についての知識は全くなかった「楽しい旅をされてください」と言った。


月日が経って思うことは、あの「ノモンハン」と言われた方は何も知らない私をどう思われただろうか。いまの私だったら、戦友の慰霊に向かわれる方に「ご苦労されましたね」とねぎらいの言葉はでる。


日ごろ「そんなことも知らないのか」と私は人を責める気持ちになることがたくさんある。

けれども、私がそうであったように何年も経ってから「知る」ことになる。


いま人を「知らないのか」「できないのか」と断定してはならない。

 

昨夜は末娘家族3人と正志に私夫婦6人で猪肉1500グラムを竜田揚げや焼き肉に汁でおいしくいただいた。