人生街道は私が歩む

今朝の冷え込み外気で氷点下1℃。それでも蛇口が凍てついたのは深夜は氷点下3℃までさがった。


水曜日は5時に農園スタート。それまでやることがたくさんあるので3時前に布団から出た。作業場ストーブ着火、ヤカンを置くが最初のミッション。


配達順路を考えながら積み込み。私の朝食前に愛犬ドッグフード。安いフードを与えたら「ゆきちやん」お腹や胸に赤い湿疹「ハッピー」は食べても平気。けれども食べぶりが遅い。


飼い主反省して餌を変えたら湿疹も食べぶりも良くなった。ウンチも立派になった。


いよいよ多忙をきわめる年末に入った。


クリスマスと正月料理でいつもより配達の数が多くなる。その電話とメール対応は、決まった数の鶏が生む数(羽数に対して平気80%)が寒くなれば少なくなる。現場とギリギリの調整をしながらの毎日になる。もうかなりの数をお断りした。


工業製品ならば残業して、休日出勤して増産できるが鶏はそうならない。


水曜日は長府の藤中(同い年)さんにたくさんお届け。藤中さんが注文をとってくださり「まとめ役」そのおかげで毎週、藤中さんと人生を語ることができる。


私の人生を振り返るとき、私の生き方に大いに影響を与えてくださった恩人がある。けれども私は恩人から離れていった。その理由は誰にも話していない。まだ墓前にお参りもしていないが気持ちの整理はついてきた。


その恩人「色」に染まりきれなかった。どこかで染まりきれない「?」があった。その「?」は些細な言動、いってみればどうでもよいことのボディーブローが積み重なった。


藤中さんと「自分の人生を私が歩む」しっかり燃え尽きる人生を歩もうと老人ふたりが気炎をあげた。