8時間を元気いっぱい歩きました

今月で70歳をむかえる。80歳まで命があるかはわからないが、そのときにはできないことを達成して70歳からを歩み出したいと昨年からそれが気になりはじめた。


農園をはじめて20年、一度も自宅に戻っていないということは、自宅の長男家族5人と食卓をかこむ団らんがない。

6年前にお国替えした母(96歳)の介護などで家内も自宅と農園の行き帰り生活。


さかのぼると20代でゼロから「ぎじろくセンター」(市町村議会録調製)を起業。子供の3人と七五三や入学式。参観日に運動会など全部を家内に任せて仕事に没頭しなければならなかった。

胃潰瘍や円形脱毛は、仕事がない金がないのなかであじわった。

最初に買った日産サニーのライトバン(中古)は30数万㎞も相棒に使った。出張のとき荷室で寝ることができた。


子供たちと旅行に行くなどはなかった。


その子供のたち3人に、父親としてはなにもできなかった言い訳の「人生の車窓」は残せた。淳貴君ポストカードもそれに添えた。


6時半「道の駅みとう」は6度。リュックを軽くしたいので昼間の格好で歩きはじめた。


秋芳洞から秋吉台に心臓破りの登りをやった。快晴の秋吉台を横断して大正洞までおりた。

松尾さんからご縁をいただいたフォトギャラリー写創蔵(しゃくら)立ち寄り。そこで私のカメラで撮ってもらって一枚。


2時半に「道の駅」ゴールイン。

私を元気に育ててくれた母。人生のあと押しをしてくれた家内に感謝の8時間。


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