農園のシンボル 心のシンボル

岐阜県で「養鶏スクール」があると知って、長良川沿いの施設に参加費16万円を払って勉強に行ったのはまだ前の会社で社長を辞める直前。


受講生は30人ぐらいで全員が若い男たち。後で知ったが、全員が50万羽とか100万羽の採卵養鶏場の後継者。

自己紹介で「私はチャボを6羽飼っています」と言ったとき空気がかたまった。


工業製品のようにオートメーションで「卵」を生産する技術を習得する講座だった。

返金は要らない。私がめざしているものとは違うから帰ろうと思ったが反面教師としての意味はあると思い修了証まで頑張った。


病気対策で飲み水に混ぜる薬。卵の外や中身の色を消費者のニーズに応じて変える技術などをまるでマジックショーのタネ明かしを見る気分で「ふーん」「なるほど」と受講した。

チャボ6羽の私に誰も夜になり遊びに行こうとは誘わなかった。


農園をはじめて100羽の国産赤鶏「ごとう」を放し飼いで飼いはじめた。

その100羽がたまごを産みはじめた。最初の1個は母に食べてもらった。


産卵率が80%で毎日80個の卵になる。毎日その数を買ってもらうこと(30円×80個)が達成できないとき宅配で坂村真民先生から「書」が突然届いた。


お名前は存じている。詩集の一冊ぐらいは読んだ。


大きな書に封筒が添えてあった。サトイモの朝露をあつめた墨で書いた。ある方からあなたのことを聞いて書いた。

もし地元でよい石があれば石碑をつくりなさい。554番の「念ずれば」になる。世界中に1000の石碑をつくろうと念じている。


その夜、真民先生にお電話をした「すぐにお礼に行きます(砥部町)」と言うと「こんでもええ」と断られた「あんたは、とても忙しいと聞いておるから」だった。


当時、Yellow Hat鍵山社長が私の志を話された。それで「書」になった。


菊川画廊に持ち込み額装してもらった。石碑は地元の園芸業者に頼んで建立した。「念ずれば」世界で554番碑が農園入り口ある。


この石碑を心の支えにして歩んできた。

これからも歩んでゆく。