待望の雨がふっている

いま8日の午後4時。

5時過ぎに農園を出て山口市・美祢市から山陽小野田市に宇部市を走り3時前に戻った。


恵みの雨が強くなる前に愛犬と傘をさして歩いた。夕方の排泄が済んだ。


井戸の水井が今夜からあがるので久しぶりに浴槽にお湯をためてあたたまった。


厚狭のばあちゃん「ご主人が往って何年かいね」と聞いたら「2年と半年」と即座に返事をされた。

農機具をしまう倉庫(農舎)にたまごを届けているので整然と並んだ農機具に工具類。普通車と軽四トラックなどいまでもピカピカ。


広い庭は専門業者が定期的に整えている。ばあちゃん独りになり米はやめられた。畑も半分以上は花壇のようになった。


亡くなる前とうちゃんは不機嫌なときが多かったのは「聴こえない」ことだった。テレビを見て私が笑うとそれで不機嫌。地域の集まりに行っても聴こえないので不機嫌。

ある日「運転免許を返納したら」と耳元で言うと「わかった」とその足で警察署に返納手続きに行った。おそらく運転中に聴こえないことで危険なことがあったと思うんよ。


歳をかさねるということは不自由と向き合うこと。


14日の日曜日。NHKテレビ6時のニュースが終わったら「目撃にっぽん」今回は「遺された声~横井庄一の戦争」


陸軍中野学校で諜報を習得。フィリピンのルバング島で戦後29年も日本軍が島の奪還くるときのためにあらゆる諜報活躍をされた小野田寛郎さん。


父親がジャングルに「出てこい」とマイクで叫んでも出なかった。捜索に向かった青年とジャングルで遭遇。ジャングルから出るには上官の命令がいると語った生粋の軍人。


横井庄一陸軍軍曹は28年もグァム島で逃げ回り捕まって帰還「恥ずかしながら還りました」だった。


この「目的にっぽん」はマスコミ報道に一石を投じているのではないかと録画予約した。


小野田寛郎さんは万歳で迎えられたあと数年でブラジルに移住された。その時、全国から届いた餞別の全部を靖国神社にお供えされた。


横井庄一軍曹はグァムでのサバイバル生活は少し語ったがその後は沈黙。


生粋の軍人、小野田さんが日本から出たか。なぜ横井さんは貝になったか。


それが理解できるヒントが「目撃にっぽん」にあるように期待している。


厚狭の日蓮宗妙徳寺境内。打ち首ではありません。これから3月まで「水行」がはじまるのです。