農園のイチョウを見ると思い出す

きょう農園のイチョウ。

農園を建築中に近くのお爺さんが「お祝いでもろうてくれ」と2tトラックの荷台に転がして運んでこられた。


40年前、盆栽で育てていたイチョウを地面におろしたらこんなに育ったと説明された。

それがトレーラーでも運べない巨木になった。さいわいギンナンは落ちない。けれども黄金色に染まりそのあと周囲は黄色の絨毯になる。掃除がおおごと。


その農園をはじめてすぐ、当時のとんかつ「浜勝」の元岡社長がお祝いに来てくださった。


私がお掃除にご縁をいただいたとき鍵山先生(当時はYellow Hat社長)のお世話を献身的にされていた。

成田空港近くで空港拡張から農地を守りながら懸命にサツマイモを生産されていた新藤さんを鍵山社長は応援されていた。

そのサツマイモを大量に買われて、全国のお掃除仲間にプレゼントされていた。


元岡社長が「これからは仲間で買い取る輪をひろげましょう」と全国のお掃除仲間に声をかけるパンフレットづくりを提案され、その制作に私があたることになった。


イモ畑の写真やインタビューに足を運んだとき、すでに都内のホテルを2泊で元岡社長と予約していた。鍵山社長がそれを察知されて私に電話がかかった「ワシントコホテルに泊まりなさい」自宅で二泊しなさいと促された。


鍵山夫妻が使われたあとの風呂。元岡社長が使い最後は私が使った。さっぱりして部屋に戻ったら「やりましょう」と元岡社長に促されて浴室掃除の会。自分の体を洗う倍以上の時間をかけて浴室の上から下まで洗い最後はタオルで拭きあげた。


布団に入ろうとすると「髭を剃ったか」と聞かれた。当時は千束にあったYellow Hat本社に7時前には社長は着かれて社内の掃除をされる。その足手まといにならぬよう髭を剃り起きたらすぐに出掛けられる身支度をしたほうがよい。


鍵山社長は終業時々にライトバンの鍵がずらりと並んだ中から帰宅するキーを取られる。どの車をその日使われるかわからない。ライトバンは夕方、全部中も外もピカピカだった。

早朝の本社掃除を2日。空き缶つぶしやゴミの仕分けなど汗をかいた。


二泊目の夜「飲みに行きましょう」と誘われた。内心「これで大酒が楽しめる」着いたところは六本木という街。フェラーリやポルシェが道端にたくさをん並んで六本木に驚いた。

着いた見せにはYellow Hatの面々がスーツで行儀よく座っており、アコーディオン奏者の「シライ」という人演奏するなかで少しの酒を飲んで終わった六本木。


話が横道に逸れた。


元岡社長が農園に来られたとき両手で私の両手を強く握って、私の目をしっかり見て言われた「いいですか、農園の営業はあなたがするのではありませんからね。たまごが営業するのですからね」と。


元岡社長物語はレストラン「キャプテン」での涙の場面など枚挙にいとまがない。


みなさんから私は育てていただいた。