藤中隊長を祈った月曜日

毎朝のかしわ手に「藤中さんの手術が無事に終わり、術後の経過も順調で早く元気に退院できますように」と祈りを込めた。


写真は4年前、藤中さんと「あけぼの珈琲」で初めてお会いしたときの一枚。


岡本拓也さんが飾っている「駄菓子屋」の細かい絵に心を奪われた「どなたの作品ですか」と尋ねて藤中さんをFacebookで探して「その絵が欲しい」と連絡した。彼は駄菓子屋、私はお礼のワインが初対面。


長話はしない私が腰を落ち着けた。彼が「なぜこの駄菓子屋が欲しいか」と聞いたから。


中学生のとき通学路に駄菓子屋があった。腰の曲がったばあちゃんが店番。なかに入りばあちゃんに店先の「ヨコヅナ」「カリントウ」など計り売りを頼み、ばあちゃんが計りにかけてグラムをみて紙袋に入れるまで奥の駄菓子をポケットに詰め込んだ。それを何度かやった。やめたのは、ばあちゃんの「ありがとう」の笑顔だった。


高校生になり、ずっと駄菓子屋が心の釘で刺さっていた。

謝ろうと腹を決めて駄菓子屋に行ったら店はやめていた。ばあちゃんの代でおわったのかもわからない。


藤中さんは小説を書くらしい。来週もここで、この時間で会おうそのとき小説の代表作をコピーで渡そう。小説は自分が体験したことか、人が体験したことを丁寧に聴いて、それを土台に作品構成をする。あなたの体験はとてもおもしろい。と身を乗り出してきた。私の人生を、初対面のサングラスに軽卒にもざっくりと話してしまった。


彼が「それで」「それから」と私が人に話したことがなかった場面を引き出した。

私が一歳と思われる。母がこま犬の前で最高の笑顔で私を抱いている。夏の写真。

私の父親を一度も語らなかった母に「ここはどこかね」と写真を見せると「忘れた」だった。

晩年に混濁した意識のとき写真を見せて「どこかね」と聞いたら「乃木神社いね」と笑顔になった。

すぐに乃木神社のこま犬に会いに行った。ここで笑顔の母を撮ったのは会ったことはない父親と思う。


翌週の「あけぼの珈琲」藤中さんが「書いた」と短編小説「壇具川」は、私を育てますと母が男性と別れの壇具川ストーリーになっていた。


「阿弥陀町の幽霊」は力作で読みごたえがあった。


呉明美さんがグリーンモールでカヤグムと高音ヒッュテ(横笛)コンサートを催された。開演直前に藤中さんが会場に入られた「足立さんが応援する企画なら」と。私も彼が企画する催しは参加してきた。


長府で通り名は「カバ隊長」壇具川のキャンドルナイトをはじめた。ホタルを壇具川に呼ぼうと川の清掃。時代祭や長府の街で隊長として名を馳せている。


昭和26年生まれのご同輩。


きょうは8時間の心臓手術。