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この時期、この佇まいになるまで何度も立ち寄る。
先週も立ち寄ったが「まだ」きょうが撮りごろとシャッターを押した一枚。
場所は「美祢西IC」ちかく
Eテレ番組100分de名著「忘れられた日本人 宮本常一」NHKテキストを買って予習復習しながら録画番組で学んでいる。
猿まわしの村崎修二さんが何度か農園に泊まった。
スペシャルオリンピックスの子供たちを農園に夕方招いたとき、村崎さんは昼過ぎに農園に着いた。草むらでバッタなどを取り虫かごに入れた。
夕方、子供たちが大勢集まった「猿は何を食べるか」と村崎さんが聞いたら「リンゴ」「バナナ」など子供たちが大声で言った「この山にリンゴやバナナはあるか?」と言いながら虫かごからバッタを取り出した。猿はそれをサッと食べた。
数々の芸をしているとき愛犬「はなちゃん」が猿に向かっていった。猿は愛犬の前足二つを握って転がした。
月がのぼった。ヒモを付けた猿が桜の木に登った。そのシルエットはいまでも覚えている。
皆さんを見送り部屋で酒盛り。村崎さん涙をこぼした。その涙は、子供が帰り際に村崎さんの手を握り「また来てね」と。大道芸人にとっては冥利につきる!
ギターを抱えて「八丈島の盆踊り唄をやる」と興がのってきた。その唄は180番まであると言うのでやめてもらった。
猿まわしは絶えていた。宮本常一さん、小沢昭一さん、永六輔さん、京都大学霊長類研究グルーブが大道芸復活に尽力された話を深酒のなかで聞いた。
農園地域の猿のグループも調査した「3グループあった」と。
私を育ててくださった磯村千代子先生(もと小学校教師)はつねに「歴史は庶民のなかにある。何を食べていたか、何を履いていたか」そこに歴史はある。
宮本常一「忘れられた日本人」を書店に注文した「2週間かかりますが、ええですか」ネット注文したら数日で手もとに届くが、ささやかな書店応援。
大勢の人「先生」に育ててもらった私の人生。これから恩返しができるだろうか。
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