1年の半分元気に越えて

雨はあがった。今度はむし暑さの木曜日。

女子刑務所で出産する受刑者のテレビ番組があった。出産は刑務所近くの産院。逃走を防ぐため3人刑務官が付き添う。分娩が終わると30分ぐらい赤ちゃんを抱かせてくれる。母親は刑務所。新生児は家族か縁者か引き取る。それができない場合は施設の乳児院におくられる。胸が痛くなる悲しさをおぼえた。

新生児は祝福されて幸せの道を歩むことが「権利」当たり前。以前の刑務所では母子に部屋が与えられ、最低限でも子供に愛情をそそぐことができた。

今は刑務官が受刑者に対して不足しており、個別の対応はできない。つまり予算不足が新生児を不幸に追いやる現実が理解できた。

役人や政治家が懐をあたためる仕組みを壊し、納税者の国民が幸せを実感できる国がなぜできないのか。


宇部掃除に学ぶ会を主宰。宮川さんの勤務 ドコモ店で来週水曜日に教えてもらう予約をした。

タブレットにドコモマーケットから音楽をダウンロードして再生。その決済までを体験する。音楽聴き放題アプリは見つけたが、月のギガ数があがる。ダウンロードならゆっくり楽しめる。手始めに、長谷川きよし・山本潤子のアルバムをタブレットに入れて勉強してみたい。


今月のタブレット使用ギガ数 4ギガ。

1日しっかり休養 水曜日

農園すべてのことを正志に引き継ぐことを急がずに進めている。

水曜日の配達は僕がやります。と彼が宣言して1ヶ月。西君のお参りからスタートしている。梅雨の長雨が続く、正志が配達に出たあとの農園作業が気になる。雨具を着て手伝えばみなさん少しは助かるだろうが、農園に力をつけるためには手を貸さないことで力がつく。

家内は、水曜日を自宅の片付けと決めて、いまは母の部屋を整理中。断捨離と言われるが、身辺整理をして必要最小限の品だけを残すようにしている。

わたしは、部屋の掃除。読みたい本。眠くなったら寝る。午後から血圧の通院に行くまでナマケモノのようにスローな時間だった。


タマゴのお客さま。小倉のMさんから「囲炉裏を読んでいますよ」と激励のお便りをいただいた。

しんあい農園日記を18年ちかく続けた。先月、正志にバトンを渡す前に思ったことは、夕食前に日記に向かった生活が終わるさびしさ。習慣が断ち切れない。

と同時に、日記を書くことで話をまとめる時間が早くなった。いきなり発言を指名されても慌てない力ができた。


ホームページをあらたに立ち上げたいと思うとき、佳子ちゃんが仲間でパソコン熟知の重枝さんを紹介くださり、おだやかな人柄でわたしの思いを囲炉裏につくりあげてくださった。

生活習慣を変えず、ボケ封じの日記を続ける。


浪花の荒川さんから通信拝受。

うなぎ弁当を説明の文章中で「先代より受け継いだ伝統のタレで焼き上げました」

昨今、意味不明の「秘伝」文字が氾濫。「伝統」が正統派。

下関浪花 検索


熟睡 体力フルチャージ

食あたりの寝不足解消のため、昨夜は8時前に布団を用意した。深夜2時に気配を感じて目をあけたら、頭上に愛犬の顔があった。立たままの姿勢で。たぶんイビキか寝言に反応したと思う「マット!」と命令したら部屋から出た。4時に元気に目覚めた。


覗き見だけのFacebookを布団で開いた。加奈ちゃんつながりで、子供に安心・安全なタマゴを食べさせたいと、チャイルドシートにお子さんをのせて農園を探してこられた秋芳のOさんが、あるイベントでお子さんを抱いた写真がアップされていた。

土曜日の配達でも、お嬢さんを抱き抱えて笑顔で出てこられる。あの笑顔!

とても爽やかな気持ちになり、早朝にも関わらず加奈ちゃんとOさんに、わたしの気持ちを送信した。お二人からすぐにお返事が届いた。


火曜日の楽しみは、山口の糸賀社長。社長が多忙な理由は他人の面倒。たいがい自分のことが忙しい世間のなかでまれに見るお人柄。今朝はお茶をいただきながら数楽の会を説明した。


岡本拓也さんからいただいた 痛風本を再読。痛みのサインは、生活習慣を改めよ!の天の声とあった。思いあたる節がいくつもある。

シメサバ地獄

来月でタブレットを使いはじめて2年。当初、ネットで閲覧できるアダルトサイトにわたしの心は文明開化。ところが、あるサイト「無修正ではない」がブラウザのタグから消えなくなった。従って、ブラウザを起動したらはじめにその画面が表示される。他人が使うことはないから約2年放置した。

ところが1ヶ月前、使い方の疑問を解決するためにドコモ店を訪れた。順番で可愛い店員さんに招かれた。彼女が操作をするうちに禁断のブラウザをタップした「きゃ!」の声で店内が凍りついた。昨日、重枝さんに問題解決していただいた。


きのう刺身用のサバがあったらしく、家内が一匹買い求めて農園でおろしてシメサバにした。少し身がやわらかいと思いながら、わたしの好物だから家内は箸をつけずわたしがいただいた。眠りにつきはじめた9時ごろから全身に発疹が出た。とにかく痒い。病院に行き注射1本で治ると思いながら、家内を起こして市内まで運転させる気にもなれず痒みにたえた。2時ごろおう吐をもよおし便器に頭をたれた。

ほとんど寝ていないまま月曜日がはじまった。


美祢市の小杉は月曜日。楢崎頼三屋敷跡 の看板がある。会津攻めの戊辰戦争に赴いた楢崎が、白虎隊ただ一人の少年、飯沼貞吉の傷を手当して小杉に連れ帰った。会津におれば死にぞこないの汚名。宿敵の長州で生きることも恥。何度も自害を試みた「馬鹿もの!生きておると思うな!生かされたんじゃお前は」以後、貞吉は勉学に励んだ。


末裔は現在東京で事業家。東北震災で大学の学費に困った福島県の学生一律に15万円無償援助された。

明日から、会津と長州の写真をホームにアップする。

久しぶりの青空

「満を持して」 の言葉どおり晴天を待って6時前から草刈りをはじめた。

連日の雨で雑草は勢いづいた。日曜日は、梅雨の晴れ間になると気象予報。昨夜は、作業場で草刈機のグリスアップ、混合燃料づくり。作業服の用意をしておいた。炊飯器で玄米ご飯が炊きあがる5時前には2個使った卵焼きなどを用意できた。愛犬の世話も済ませて待望の草刈をはじめた。10時過ぎまでかかり川土手をすっきりできた。


午後3時に、歩き遍路を結願された松村御大から、先達のチビッ子遍路の佳子ちゃんに預ったお土産を渡すこと。佳子ちゃんの友人で「囲炉裏の部屋」で開設前からパソコン知識を駆使して、わたしのイメージをカタチにしてくださり、その後も引き続きボランティアでお世話くださる重枝さんも同席でお会いできるようになった。場所はWi-Fiが使える商業施設。


将来は、囲炉裏にみなさんから写真投稿していただく企画を考えており、その加工方法。

わたしのタブレットから、スマホやガラ携に写真が届けることができるアプリ「写真リサイズ」の使い方。

90分かけてご指導いただいた。付録で、音楽をダウンロードする手順も理解した。250円で平原綾香を今度1曲やってみたい。


草刈を終えて3時までに散髪と、湯田温泉「温泉の森」も済ませ、快晴の日曜日は充実した!

萩港界わいをウォーキング

地元紙の記事に、高齢者が30円のうどんを万引きしたことが、実名と住所に年令まで書かれていた。よほと紙面をうめる記事がなかったのかもわからないが、それを記事にするマスコミの姿勢にわたしは疑問を感じる。ハレンチ事件の犯人が教師や警察官のとき、詳細に書かれないこともよくある。


バブル景気絶好調のとき(前の仕事)海釣りをするため船が欲しかった。税理士さんと雑談でそれを話したら、経費で買えると教えてもらった。年に数回、取引先のお客さまを釣りに招待したことの足跡を(日付を記入した、ガソリン・餌や酒に弁当)つくっておけばよい。

この度、桝添さんの醜態を見るにつけ、額の違いはあれど本質は同じことをやっていた私を省みた。お金が動かせるには人格が伴わねばならない。


東京都議会はリオの視察を、予算を理由に中止した。そもそも視察とはその程度の意義でしかなかったのか。

お役所の予算には、議員も職員も「先進地視察」の項目がたくさんある。物見遊山の視察が、本来の視察を妨げている。身を切る行政改革が望まれる。


早朝、萩港に車をとめてウォーキングした。お寺がたくさんある観光地「寺町」の裏手になる。はじめて足を踏み入れ、古い街なみがズラリとあり驚いた。萩は面白い。

菊川画廊訪問

痛風の痛みが完全に治り、痛み止の薬をやめて4日経った。痛み止の薬成分が身体から抜けたから、今朝からアロプリノール(尿酸値を下げる薬)の服用を再開した。岡本拓也先輩から言われた処方。さらに大根おろしを食べよ。の指導にも従っている。

庄原の林さんからは、毎日2リットル以上の水を飲めの指導には、1リットル以上は飲み続けている。

酒屋の井上さんからは体質改善を言われ、今朝から玄米ご飯をはじめた。

歩くだけではなく、人の意見を取り入れながら健康的に生活する努力をはじめた。


きのう夕方、藤野先生が来園くださり 数楽の会 これから先三回のご案内をいただいた。

さっそく案内したい菊川画廊に今朝行った。一ヶ月前ぶらりと立ち寄ったときお嬢さんが画廊の留守番。緊急入院して肝臓手術。経過はよい。

8時、画廊に主人の愛車があった。大手術のあと二ヶ月入院。先日退院できた。今朝ときわ公園を歩き、雨と元気一杯の新緑を楽しんだ。体重は18キロ落ちた。

お茶を出すお嬢さんに、足立さんは大切な仲間。と紹介くださり嬉しかった。

二ヶ月の入院中にたくさん考え、本をたくさん読んだ。その本のなかで 立花隆著  武満 徹・音楽創造への旅  について感想を詳しく話された。本文は小さい活字で縦二段組、ページ面積いっばいの文字組で800ページ。二度読んだらしい。

入院を経て、また一段と人柄に深みを増された。

松月院 ご住職にも数楽を案内すると言われた。


大切な仲間が元気を取り戻して嬉しい。

沖縄慰霊の日

沖縄戦戦没者の遺骨収集奉仕は、本土復帰直後から長年通った。糸満市摩文仁で「金城サチコ」と刻まれたセルロイドの三角定規とともに、子供らしきご遺骨を地中から収骨させていただき、それを区切りに奉仕はやめた。

その発見の日、足下には海とサンゴ礁が切り立つ斜面で「足立さんですか?」としげみから声をかけられた。なんと会議録(わたしの本業)でお世話になっている下松市議会事務局長だった。

局長のお父さんは沖縄戦で戦死。生き延びた戦友がお父さん終焉の場所を案内すると申し出てくれて、朝からそのガマ(洞窟)を探している。艦砲で地形がかわり、なかなか場所が見つからない。

首里から糸満に撤退のとき、艦砲の破片で片腕を飛ばされた。止血はしたが腕が一本になると身体のバランスが悪く、まっすぐ歩けない。戦友は止血したところに石を結び重しにしたら歩けたと話された。

摩文仁でガマに入ったが、1平方に6トンもの艦砲が炸裂するなかで傷口にウジがわき、食料も底をついたとき「お先に」と言葉を残してガマから、鉄の暴風雨の外に出られた。


沖縄では軍が住民に集団自決を迫った。命を粗末にするなと軍人に助けられた。さまざな議論が終わらない。

当時、子供だった現地の方がわたしに語った。家族と別れてしまい、夜にひとり海岸の岩影に身を隠していたらアメリカ兵に発見され機銃掃射を受けた。照明弾(周囲を照らしパラシュートでおりる)で子供とわかり、夜明けまで照明弾を撃ち続け子供だから撃つなと伝えた。朝、僕の周りは照明弾の落下傘がたくさんあった。


戦禍の混乱のなか、指揮系統もあやふやだったかもわからない。人として判断を迫られる場面では、様々な判断が下されて当然。つまり、白か黒かの決め方ではおさまらないのが戦争とも言える。


沖縄におもいを馳せながら木曜日が終わった。


しっかり休養 外は雨

写真は、農園入り口の柿(シブ)の木。50年前に川が氾濫してこの地でお茶栽培を営んでいた数軒の農家は離農した。荒れ地2300坪を離農した地主6軒を探し買わせてもらった。

建築がはじめられるよう木を切り草を刈った。一人で。

この柿の木にはツタが巻き、太い幹には金具が深く打ち込まれていた。きれいにしたら元気になりいまも成長している。15年ぐらい前、地域の婆ちゃんが遊びに来た「わたしが嫁に来たときも、この柿は大きなかった」100歳以上かもわからない。


日曜日の朝6時「時事放談」をみる。先週は元岩手県知事、増田寛也さん。今回の都知事問題を語るとき、自らの知事在職時代を回顧された。

24時間、県民の生命と財産を守る者として常に的確な判断、命令ができるため酒を断った。立派な方だと再認識した。


社会学者の古市憲寿さん。数年前、田原総一郎さんが数回連続の近代史討論番組をされたとき、各大学生のなか彼は東大生として参加していた。ベテラン政治家を指して彼は「おじさん」と言う。人生の先輩に対して敬語が使えない学生の印象が残った。学生を終えてもいろいろな場で彼の上から目線発言にうんざり。

最近、その軽卒発言がちょっとした議論になっている。いつまでも大人になれない方だと再認識した。

睡眠不足の火曜日

写真は、農園そばを流れる川。昨夜の豪雨で水かさを増した。豪雨と稲光で愛犬がパニックになり、わたしの側で朝までハァハァ、ヨダレがタラタラ。寝不足の朝をむかえた。


岡本拓也さんが昨夜電話をくれた。日曜日に催された「数楽の会」がよかった!その感想を長々と。数楽なのに数字が出てこない藤野先生講義はおもしろかった。わたしは納骨で初めて欠席したが、感動の電話をいただき嬉しかった。


20年以上前、広島県や島根県に出張したとき、宿泊費と日当を酒と肴にかえて広島県吉舎町の金光教に参拝の名目で泊まった。熊のような巨漢で無愛想な教師、井上先生と交わす酒と信心話しが楽しみだった。


きょうも教祖様が、この地域でお働きされた。わたしは「?」その言葉は、教会に朝お参りをされた様々な職業の人。学校の先生。サラリーマン。主婦に学生、経営者たちとワシが教祖様の話をした。その話をそれぞれの持ち場で生かしておる。だから教祖様が1日働かれた。ワシは教祖様の話を伝えるだけが役目なんよ。


数楽は、藤野先生が師と仰ぐ数学者の岡潔先生のおもいがベースで講義が展開する。数楽と言いながら、実は生きる根元を垣間見る不思議な時間。


ネットに毒され、大多数の波にわが身をおけば、それが正しいと錯覚する。そこに鉄槌をニヤニヤしながら藤野節がうち下ろされる。岡潔先生が甦る時間になる。



梅雨らしい月曜日

ヤッケと長靴でスタートしたが、お昼前から叩きつける豪雨

がはじまりポンチョに着替えた。むし暑さも加わり疲れは倍増だった。


美祢市の山奥でネコを家族にしている婆ちゃん。先週の月曜日、そのネコが骨格標本のように痩せ衰えていた。一週間もつ命とは思えなかったから、きょうネコの話題はさけた「死んだいね」と別れ際に婆ちゃんがつぶやいた。先週の月曜日、夕方にネコが婆ちゃんの側で横になり、いつのまにか息を引き取っていた。婆ちゃんが涙をながす。

楽に往生ができてよかった。婆ちゃんより早くてよかった。と声をかけた。タブレットに撮っていた一枚を見てもらった「ああ、嬉しい」と指で画面をなでた。


今回、痛風の再発で反省する材料がたくさんある。日曜日・金曜日は仕事がOFFになり、草刈りなどして昼からビールを飲んで昼寝が習慣化していた。さらに青魚の脂身か大好き、それがあると日本酒がすすんでいた。

暴飲暴食の結果とよくわかった。

きょうは痛み止めは飲まずに、エアーサロンパスでなんとかなった。


参拝の二泊 予定どおり終える

昨夜は家内のお姉さん(70歳)予約の店で夕食。お姉さんの嫁ぎ先は、相生市内で教科書販売もする書店だったが、20数年前ご主人が急死され書店は廃業された。子供3人を育てあげ、今は公民館の管理を市から委託されている。わたしにはアルコール飲み放題コースが予約されていたが、痛風もあるから控えめに酔った。


相生から車で30分で家内の里 たつの市。雨のなか墓参り。3月に真砂恵さん家族が大阪家族旅行でお参りしてくれている。

短い雨靴を履き傘をさして草取り。しばらく続けていたら、左足の膝下に違和感がありズボンをめくったら、案の定 山ヒルが強烈な力で食いつき吸血をはじめていた。引っ張ってもなかなか離れないぐらい。さいわい一匹で傷口はまだ浅いうちにとれた。湿地のハイキングで休憩したとき両足にたくさんヒルが食いつき、たっぷり血を吸われ離したら傷口から出血がなかなか止まらなかった若い時の記憶がよみがえった。


母の遺骨を命日にあわせて、家族である太秦教会の先生の手により、太秦教会の奥城に安置(母の願い)できたこと。家内の里の墓は、姉妹3人がでたから参ることが少なく、雨のなか掃除ができた。ふたつのお参りがわたしの願いどおりにかなった。


夕方、愛犬が大よろこびで迎えてくれて、わたしも大よろこびのキス。


写真は、梅雨の豆子郎お庭。

母の納骨祭おごそかに

虫の音、川の音を聞きながら眠りにつく生活をしている。昨夜は教会で泊めていただき、すぐそばに嵐山電鉄の踏切があり短い間隔で遮断機が下りる警報。網戸越しの路上を歩きながら交わす会話。緊急車両のサイレンなどで寝つくまで時間がかかった。

今朝6時、渡月橋まで照美さんが散歩に誘ってくれたが、履き慣れない靴のせいか痛風がうずきはじめたから、車で近所のドライブにしてもらった。

日中は橋いっぱに歩く観光客らしいが、早朝の渡月橋は地元の人がジョギングにウォーキングするぐらい。嵐山を背景に京都の風情を満喫できた。

9時から教会で母一年祭。霊殿に掲げた笑顔の遺影は、この日を喜んでいるように見えた。

教会の奥城は、金閣寺近くの公共墓地のなかにあった。ジリジリ暑い日射しのなか、上野先生(照美さん夫)は装束をつけ、心を込めたお祝詞を奏上された。納骨堂の鍵をあけて、母の遺骨はおさまった。責任を果たした実感がした。


歩いて金閣寺。時間は11時間ごろ。修学旅行、いろいろな肌の色と様々な言語の外国人。長蛇の列に入り自分の意思ではない歩みをしなければならない観光は残念。静かな観光は無理だとわかった。予約した金閣寺近くの食事処も、外見は落ちついたたたずまいでも、昼時の店内はザワザワ。それでも家族で美味しい御飯になった。

まだ観光の計画があったがお断りして京都駅に行き、駅前の京都タワーから市内を見おろした。


JRで相生まで移動。これから夕飯。明日は家内の家の墓参り。


母と太秦教会に

早起きして6時までに支度を済ませ、美祢東ICから兵庫県相生ICに向かった。JR相生駅近くに車をとめてJRで京都太秦教会に行く。

明日は午前中に母の1年祭を教会でお仕えいただき、金閣寺近くの教会奥城で納骨祭を行い、午後からレンタカーで京都ミニ観光。夕方に相生までもどり、相生在住の家内のお姉さんと夕食。わたしは駅前ホテル、家内はお姉さん宅で泊まる。

日曜日は、車で約一時間の家内生家(たつの市)、生家は取り壊し代々の墓がある。掃除と参拝をして農園にもどる。


太秦教会には2時ごろ到着。徒歩5分の太秦小学校に通う、4年(女の子)と2年(男の子)が相撲部に在籍しているので、放課後の土俵参観に行った。なかなか気合いが入る取り組みだった。


教会は映画村の隣になる。いわゆる下町で豆腐屋・みたらし団子屋・だし巻き玉子屋・レトロな喫茶店。狭い道は自転車が便利。自宅に風呂をもたない家庭が多く銭湯が健在。さきほどひと風呂浴びてきた。客は多く京都の言葉で野球や選挙談義。長州なまりは黙って汗をながした。


今夜は家内が特製瓦ソバを山盛りでつくる。

配達は人間関係が学べる

満載のタマゴを載せて6時前にスタート。木曜日は下関。

配達先は、個人のお宅。会社に飲食店。窓口になる人はさまざまで、わたしの挨拶は相手にチャンネルを合わせる。魚屋さんはお互い声は大きくテンポは早い。散髪屋さんは多彩なお客さまと長年の会話で知識が豊かだから質問できる。車屋さんには愛車の調子を話題に。商店は自慢の品を説明してもらい、建築関係の事務所では農園で修理をする方法を指南いただく。

加奈ちゃんは毎週、自宅販売をはじめ550個用意したパンが90分で完売。福岡県や周南市など遠来のお客さまたちが、販売1時間前から列をつくったらしい。

よしの うどんも完売御礼札がかかり、ご夫婦お疲れ気味。

多くのお客さまと会話を交わしながら仕事を楽しく終えた。


痛風。

庄原の林さんから、1日1リットル以上水を飲んで尿酸値を下げよ。

真砂恵さんから、焼酎を適度の晩酌にしなさい。

メール2通いただいた。


明日は太秦まで移動。土曜日に母の納骨をさせていただく。母の大好物のウナギの蒲焼きを頂戴した。酒もそえてお供えした。母の遺骨は農園最後の夜。

雨の前に草刈り

昨夜、酒屋の井上さんが酒のせいか絶好調で電話をかけてきた。話題は囲炉裏を読んで酒と痛風について。わたしはビールはほどほどに飲むよう女医さんから指導されたが、日本酒とワインもプリン体が多いから気をつけよ!

言われて今回の痛風が見えてきた。4日の夜、農園に6人来てくれホタルを肴に(雨で飛ばなかった)飲んだ。わたしは痛風を警戒してビールは飲まず、冷えた白ワイン、次は庄原の林さんが「敷信村(しのうそん)」という自慢の酒を一升瓶×6本差し入れてくれ、その最後の1本をこの日のためにキープしておいた。ワインのあと約5合飲んで、スコッチウイスキーも飲んで轟沈した。あくる日から足の指が痛みはじめ、最高潮は火曜日だった。岡本拓也先輩のご指導で鎮痛と消炎薬を服用して痛みからは解放されているが、尿酸値があがったままでは腎臓を悪くするらしい。

その庄原の林さん(金光教・掃除がベース)が囲炉裏を読まれて、暑くなるから冷えたビールをしっかり飲みんさいと冷やかな便りをくれた。


明日から雨の予報。水曜日は正志がわたしの仕事をすることになったので、早起きして5時半から11時まで、農園周囲(耕作放棄地)の草刈りをした。最強草刈機のハンマーナイフを動かした。歩数計は18000歩。しっかり汗をかいたご褒美は、草刈り跡を眺めてのいい気持ち。


午後から湯田 温泉の森でさっぱり。


今夜は家内が来てくれた。母の夕飯お供えをつくり遺影と夕食。

山口市内の配達 暑かった!

昨年6月14日は、ガッツ体操教室の体育館完成祝いが午後から現地で催され、祝辞を申し上げる3名の一人に指名された。

朝、シーサイド病院に会いに行った。ナースステーションの前、個室に移されドアは解放され様々な装置がベッド脇にあり容態の深刻さは空気でわかった。話しかけても反応はなく、自力で呼吸はできていた。反応はなくても手を握り長い時間を過ごした。次に来るときの覚悟を決めて部屋を出た。農園にもどり「今夜になると思う」家内と正志に話した。


お祝いの宴は盛大にすすみ、会食では家内が迎えに来るまで私らしく飲んで騒いだ。


夜中の12時ごろ家内の電話が鳴った。家内が手短に受けるあいだ、わたしは着替えをはじめた。家内は寝る前ビール1本飲んだらしいが車を出した。15日午前1時ごろ病院に着いた。駐車場に到着したとき「息を引き取りました」と正志から電話を受けた。正志と真砂恵家族は全員病室に揃っていた。


96年、母のうつわとして酷使に耐えたなきがらに、よく働いてくれた御礼。母の霊さまには これで楽になれたね。よう頑張った。と心でつぶやいた。母の苦痛がとれてよかったと思えた。7年の病院と施設生活、7年も時間があったから悔いのない孝行ができた。


元気な母が農園に来て「わたしの葬儀を今夜は決めよう」と葬儀のすべてをわたし夫婦に伝えた。家族だけの葬儀。金光教太秦教会(照美の嫁ぎ先 主人)に来てもらい葬儀。棺は一番安いものでよい。色々と母が決めたように葬儀をすすめた。中山さん鉛筆画の遺影。今村さんの骨壷。

母の終祭はありがたく終えた。


1年前を思いうかべながら、猛暑の山口市内を配達した。

ローマの休日 120分

前の仕事(40代)のとき、宮崎で週末までに予定の仕事が終わらず、市内のホテルで連泊し月曜日を待つことにした。暇でたまらない。フロントで無料貸出しビデオテープの一覧表が部屋にあった。2~3本目星をつけてフロントに行くと可愛い女性。紳士のわたしは目星のタイトルは言えないので、ローマの休日・愛と青春の旅立ち 2本を不本意ながら借りた。ローマの休日は筋書きよりオードリーの笑顔が印象に残っていた。

昨夜は録画していたローマの休日を楽しんだ。王女と一日過ごした記者の紳士ぶり。どうにもならない別れのシーン。名作とよばれるゆえんがわかった。


NHKテレビで 不寛容の時代がテーマの番組も見た。わたしはタブレットを使いはじめて2年。それまで知らなかったネット社会を知りずっと違和感があった。芸能人が浮気をした話題。被災地での問題や課題。韓国や中国についての意見。とにかく無責任な発言だらけ。それらをアップすることに時間を使い、意見が合うとまるで正義のようになる。

考え方は千差万別。それを受け入れて生きるようにしなければならないと肝に命じた。白か黒か。反対か賛成か。それだけが答ではない多様がある。



痛風 泥縄式治療法

痛風の痛みをとる薬はやめ、アルプリノールという痛風治療薬(1日1錠)にかえた。痛風の岡本拓也先輩から、以前いただいた痛風治療本を読み返している。朝、先輩からメール「大根おろしが良い」と。これを泥縄式治療と言うらしい。


毎日新聞10日に従軍慰安婦について、戦時中にテニアン島とサイパン島で捕虜にした朝鮮人兵士3名を、カリフォルニア トレイシー尋問センターで30項目について聴取した記録が発見された。それがかなりの文字数で記事になった。わたしは従軍慰安婦について日韓で食い違いがあるが、わたしなりの見方はある。


記事は、日本が降伏したあとの植民地 朝鮮を連合国としてどう統治するか。まずは朝鮮人(当時は日本人)が日本に対してどのような感情を抱いているかの調査だったとしている。


質問は、日本軍による慰安婦募集、あるいは強制を知っているか。

その質問について、太平洋で目撃した朝鮮人慰安婦は志願者か、親に身売りされた者だった。もしも日本人による直接的な徴集があれば甚だ許しがたい暴挙とみなされ、老人であれ、若者であれ、誰もそれを黙って見過ごすことはないだろう。男たちは、たとえどんな結果が待っていようとも怒り狂い蜂起し、日本人を殺すだろう。


この記録に対して、現代史家 秦郁彦・東京大学 木宮正史・国際大学 熊谷奈緒子の三人がコメントを添えている。

木宮さんのコメントは、記録を読んだうえで強制はあったという立場だった。

女性を救えなかった男の恥で、強制を認めたくない側面がある。


近くて近い国の関係にはやくならねばならない。

梅雨らしいむし暑さ

きのう夕方、早めの夕食を済ませてゴロゴロしていたら犬が吠えた。下関から長門のトヨタ店長をされ、このたび関連会社に異動された江口さんが来てくれた。長年、農園の車を親身に対応してくださり 困ったときは江口さんだった。定年も近くなり将来の家計を考えておられ、わたしにアドバイスの力はないから聞き役になった。こうしてぶらりと来てくれる仲間が、長年培ったわたしの財産。


早く起きたので、昨夜の録画「アウトロー」を楽しんだ。ストーリー展開のテンポがよい。カーアクションもスリリング。狙撃も正確で女優の胸の谷間もなかなか。結末が気になり一気に見たせいで朝食はパンと牛乳に納豆になった。


痛風の痛みはほぼ消えて、愛犬と走ることもできた。大事を考えきょう一日は薬を飲むことにした。


萩市・長門市に美祢市の配達を済ませて農園で昼食。プリン体ゼロの缶チューハイ。昼寝をしたらむし暑さで汗をかいた。

梅雨の快晴!

先月25日から松村御大(もと唐戸魚市場社長)は、ふくの供養で四国遍路をはじめている。わたしは45歳のとき5日ほど宮崎から阿蘇まで250キロメートルを歩いた。その5倍以上の距離を歩かれるから、足の痛みは理解できる。毎日メールで激励を届けている。元気な返信がある。

快晴の予報。草刈をやりたいが痛風の痛みは歩くごとにある。けれども御大はきょうも歩を進められるから、それに比べたら痛みは少ない。6時から4時間やった。終えて持世寺温泉に行き汗を流し着替えた。隣の豆腐工房で出来立てぬくぬく木綿豆腐を買い。プリン体のビールはやめてハイボールにした。


母の遺品ノートを昼から読んだ。

わたしが40代のとき、宇部空港発着で冬の北海道格安2泊ツアーがあり家内と行った。留守番の母が記したそのときの日記。


若いときは何処にでも行かれて羨ましい。考えてみたら私には若いときと云う時代はなかったように思う。これも自分で勝手にそうなったのかも分からない(原文)


来週、母の命日にむけて偲び草を書き進めている。そのわたしに母が偶然を装うかのように語りかけてくる。


先日活躍した4名分の布団。しっかり天日干し。

痛風 峠を越えたか

頭や腹が痛いとき、我慢していると治ることもあるが痛風の痛みはどんどん進行するし腫れも成長する。つまり医学が働かないと歩行困難になる。前回の痛風で学習した。

今月にはいり、左足の親指周囲がムズムズしていたが、痛風とは思わなかった。生涯服用することになった痛風予防の一錠を毎朝。ビールはプリン体 0 野菜中心の食生活。それでも7日の朝から痛みが始まった。夜、前回余りの鎮痛と消炎ボルタレン錠と胃の荒れを予防するレバミピド錠を服用。寝る前に、痛風の先輩 岡本拓也さんにさらにどうすれば良いかのアドバイスを求めたら 原因があるから結果がある と説教からはじまり熱を冷ます湿布をすればなお良いとご指南いただき貼った。

今朝は足を引きずりながら愛犬と歩いたが、夕方には痛みはあるがだいぶよくなった。明日の朝、痛みが少なければ草刈をやらなければ。日曜日は雨予報。


仏教・キリスト教・イスラム教にたくさんの宗教がある。それをザックリと 山登りに例えて「頂上は同じ」という人があるが、わたしは違うと思っている。そこを深めていきたい。

それと、同じ宗教でも教えをとく師匠を わたしは好きか嫌いかでも本質に迫れるか否かがわかれる。


ビールを絶ち焼酎水割り生活にした。

母の働き

母の1年祭(96歳お国替)と納骨がちかくなり、区切りとして母を偲ぶ想いを文字にしている。それは母の霊殿に供え、子供たちにも渡す。葬儀のあと、祭主の金光教太秦教会長(長女 照美の主人)が、お母さんはやっと身体がなくなりこれから活躍されますよと話された。いま大学ノート30冊ちかい日記と俳句に目をとおしながら母を身近に実感しいる。

大学官舎でテレビの買えない家はわが家だけになった。近くの友達の家に上がり込み、夕方の番組を見ていたとき、お姉さんのピアノでテレビが聞こえなかった。それを言葉に出したとき大学教授の父親が「帰れ!貧乏人の子」と激昂した。

母子家庭も貧乏人もそうだけど、あの言葉と場面が残った。けれども、あの場面から学び出したわたしの背骨がある。母子も貧乏もわたしの力では変えられない運命。わたしは、本人の努力で変えられない運命を背負った人を責めない。馬鹿にしない人間になろうと決めた。

この背骨も、母と歩んだからこそ体得できた。

意外な、女らしい句を見つけた。

足早に  ピアス揺らして  春衣


きょうから水曜日の配達は正志が「やります」と言ってくれたので、母のことがだいぶ進んだ。


痛風は飲み薬と熱さまシートのおかげで靴は履ける。

そら ちゃん、明日登場!

火曜日は、朝のウォーキングで週で一番長く歩ける時間がとれる。けれども、早朝の犬散歩で左足の指に痛みがあったのでウォーキングは中止した。午前中に痛みが辛くなり、歩くことが苦痛になりだした。いつもはエレベーターは使わないが階段に足が向かなかった。この痛みは、数年前に発症した痛風だとようやくわかった。

痛風治療で、ずっと飲み続けなさいと毎月処方される一錠を飲み忘れることが多く、それでも痛くはならないから適当に飲んでいた。そのツケかもわからない。ボルタレン錠とレバミピド錠。鎮痛と消炎らしき薬もたくさん在庫があり、ボルタレン錠を一錠、夕食あとに飲んだ。


美祢市の山間部。甲斐犬ミックスのカイちゃんが4歳で年末不慮の事故で風になった。飼い主のSさんはショックが大きく痩せるほど落ち込んだ。家族会議で次の犬を探すことが可決され、ネットで下関市動物愛護センターを探しあてられた。捕獲された野良犬や、飼い主が飼えなくなり集められた、命の最終地。このセンターでお産をしたメス犬の子供を引き受けられた。

わたしも行き掛かりで、防府市で捕獲されフィラリア感染の犬(いま愛犬ハッピー)を引き受けた。


明日の朝アップの写真は4ヶ月の(そら ちゃん)と(ハッピー)にします。



NHKテレビ 最近おもしろい

NHKスペシャル ど題される番組が興味深い。

大アマゾンの秘境で金採掘を密かにやる、この社会では生きていけない様々な事情を背負った男等が、酒と麻薬に女、快楽に溺れながら絶大な力のボスのもと黄金の夢をみる。場所を公開しない約束で取材班が50日、命懸けの取材をした「ガリンペイロ」51分。

過酷なタクラマカン砂漠で4000年前のミイラ発掘は、眉毛まで残るヨーロッパ系女性(美人とわかる)現場映像「4千年の眠り」

昨夜は、北朝鮮の最高機密をメモリーコピーをして、取材班と300万円で取引をした北朝鮮幹部。その機密内容を日本・アメリカ・ロシアの専門家が詳細に分析して、今の北朝鮮をクローズアップさせた。報道映像の国民や軍部が熱狂する場面は、なんどもリハーサルされており、あの熱狂を演じない者は公開裁判 公開処刑という恐怖政治の実態。平壌の周辺には軍隊を展開しているか、平壌市内に軍隊はいない。政治不満で軍がクーデターをおこすことが金一族の恐怖。


美祢市の山奥、小高い場所にお住まいのばあちゃんが「家まであがるのはえらかろう。下の郵便受けに置いてもええ」とても嬉しい。けれども、そうすればばあちゃんがえらかろう。わたしのほうが若いから心配しなさんな。

昨夜は楽しい時間に

小野田市の西山さん家族は、1歳 長女の京花ちゃんの体調がすぐれず父親ひとり参加の連絡があり「ならば、酒が飲めないから泊まらないか」と誘い、泊まりの用意で5時に来園。徳重桂子ちゃんと松田さんのギャルコンビ。囲炉裏の部屋ホームページの支援者、重枝さんは囲炉裏の改善プランを考えてくださりノートパソコン持参。以上4名は宿泊。

まえの会社で働いてくれた草野さん、安川さん熟女コンビもほどなく到着したので乾杯!

ビール 日本酒 焼酎にスコッチウイスキーの4種混合をやってしまい。熟女は見送った?がいつのまにか玉砕。


朝ご飯のあとから重枝さんにご指導いただきながら囲炉裏を手直し。先月8日に囲炉裏の部屋を立ち上げ、ようやく思うような建築を終えた。

日々の写真とブログ更新も要領がわかり出した。頭がだいぶ錆びついているので、新しいことに時間がかかる。


きょうは一日中農園の部屋で過ごした。

履き物を揃える

萩市内を走行中、観光用レンタサイクルがすごい数並んでいる朝の風景に出会った。それが全部同じ向きに整然と。

鍵山先生が、履き物を揃えると大切さを提唱される。揃えると心が揃うと。履き物を揃えるぐらい簡単なことより、もっと価値のあることをやればよいと考えるが、簡単なことができない人はそれ以上のことはできない。

自転車群を眺めて 揃えることの意義をあらためて思いおこした。


三見のアーチ型石橋や よしの夫妻を囲炉裏写真用に撮った。


明日から2日間、呉明美さんのお店  ソリナム  をホーム画面でご紹介します。 下関ソリナム  検索 で、彼女の手作りホームページもご覧ください。フェイスブックでもどうぞ!


ホタルが舞いますか?と数人から問い合わせがあり、今夜雨天決行で観賞会を催すことになった。家内は午後からの仕事は返上して農園料理人。

母の足跡を読む

昨夜のSONGS 高橋真梨子。67歳とあかるく年齢を自己紹介にそえた。この年齢の体力で歌い、それでもコンサートに来てくださるお客さまと歩んでいく。いつか中尾ミエが「鏡のなかの自分に慣れること」と答えたが、年齢ゆえに出せるモノがあると感じた。


たくさんの大学ノートにきざまれた母の赤裸々な文字をたどりながら、わたしの健康や事業を神様に祈り続けていたことが今ごろわかる。会社の利益を案じる母の言葉を、当時のわたしは背中で聞いていた。

山口大学工学部の用務員を30数年つとめあげ、わたしを育て上げている母の姿に、ノーベル物理学賞の湯川博士が(大学に講演)色紙に一筆書いてくださった。それが出てくれば家宝になる。病床の母に聞いてもわからない。その手がかりを大学ノートに見つけた。

今の自宅に移るとき失った無念のページ。記憶では。


我はものの数にもあらず  深山 木の路踏み分けし  人を偲ばず


記憶だから真偽はわからない。


気になる奥歯。診察に行ったら抜歯された。麻酔が切れるまで数時間、飲んだお茶がダラダラこぼれて情けない。

木曜日を終えた

配達の車がカーブで安定しないほど満載でスタートする木曜日。通学路や一方通行エリアに配達先があり健脚になる。城下町の長府は土塀に挟まれた狭い道も運転。250キロメートルを11時間走り荷台は空になる。


きのう31歳を迎えた加奈ちゃん。その話題でフェイスブックはもりあがっていた。家内が1日遅れで、誕生祝いにささやかな品をタマゴに添えた。加奈ちゃん喜んでくれて、明日の囲炉裏にフェイスブックの写真掲載を快諾してくれた。


下関市リトル釜山の ソリナム 。呉 明美さんにもフェイスブックの写真を囲炉裏に掲載を喜んでいただいた。


茶房庵 しみず の奧さま(年末 ホノルルマラソン)も撮らせていただいた。


明後日の土曜日は よしの夫妻を9時に撮ることにした。


みなさんを囲炉裏でご紹介します。

6月スタート!

朝7時に正志を小野田市役所の駐車場に来させた。来週から「ボクが水曜日の配達をします」と宣言したので、きょうは配達コースとお客さまそれぞれの約束を伝えた。

酒屋の井上さんが、正志の農園日記を本人に「よく書いている」と誉めてくれた。わたしは農園日記を振り返らない。

日本で一番人口の少ない、東京都青ヶ島村(200名以下)で、島民のためにつくられる35度の焼酎「青酎(一升5000円以上)」が10数年、棚の奥に1本鎮座している「これは売れませんね」と言うと「半額で買わんかね」と間髪入れずに声が出た。幻の焼酎を2400円で買わせてもらった。


毎週水曜日に自宅を片づけと家内が決めた。きょうから母の部屋を整理する。夕方、家内は農園に来た。母のタンスから20冊の大学ノート日記と日々の俳句。講談社「カラー版 新日本大歳時記」全7巻 35000円が発掘された。そのうち埋蔵金が発掘される かもわからない。

発掘現場から「味力(みりょく)」 寿司・割烹 浪花 繁盛記。平成13年発行の荒川大将講演録小冊子が出た。何度か親孝行を浪花でした。それを宝にしていた。