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3時まえに起きた。枕もとの愛犬を作業場におろして部屋の掃除機。4時半に萩市にむけて出るため動きはじめた。
いつもより1時間早く出る理由は「藍場川」と「三見眼鏡橋」に咲くアジサイを今年も撮りたいから。
写真は今朝6時まえの萩市藍場川。
長門三隅の村岡さんは7時。今朝はミツバチの巣箱作りをしておられた。西洋ミツバチの真新しい巣箱が10数個積み上がっていた。
配達は、いろいろな人生経験を積まれた人と会話を交わして学ぶこと「人生大学」ミツバチの習性、養蜂の楽しさなど聞いたあと「100分de名著 宮本常一」をテキスト片手に予習と復習で勉強していることを話した「ボクも、その番組を観ている」
柳田国男と宮本常一。民俗学者とよばれる2人の視点の違いをのべてくださった。大島の宮本常一記念館に行かれ、深く学んでおられた。
20数年前、農園近くのじいちゃんが来た「あんた、貧乏しちょるそか」と唐突な挨拶。地域で、何でも売っている商店で発泡酒を数本買ったことが地域の人のあいだで話題になったらしい。
「あんたは、なにをしていた人がね」「嫁さんはどこのひとかね」「この前、夕方橋を渡った車の女は誰かね」
他人に干渉する田舎の雰囲気に驚き、それを軽蔑するようになった。
宮本常一は、そういう田舎の「村社会」を自助共助の視点で捉えていた。
災害が起きたとき、警察や消防に頼らずとも助けるべき人の家に走ることができる。
地域で解決する課題、問題は全員が集まり何日かかろうが徹底的に話し合う。そして決まったことに従う。
私が軽蔑していた風習は宮本常一著「忘れられた日本人」のなかにあった。
「面倒くさい男」の吉野さんが昨日電話をしてきた「スマホからの電話じゃ」とスマホを手に入れたらしい。その理由はまたの機会で。
今朝9時前、いつもの「吉野談義」私がわからなかった「蝦夷」をテレビ番組「歴史探偵」で少し理解できたので深めたいと質問攻めをした。
東北の蝦夷と言葉は通じたのか?と聞いたら、当時は今ほど言葉を使わずに、つまり必要なことだけ伝えたらよかった。そういう意味で「通じた」
吉野さんは転勤族だった。徳之島勤務のとき、奥さま(福島県)が故郷の言葉が徳之島にあったので驚いた話をしてくれた。
言葉や文化の多くは京都から地方に伝わった。東北や九州の離島など京都から遠隔地には「忘れられた日本語」が残っている。
宮本常一を話題にしたら「ワシは宮本常一を何冊も読んだ」ここでも柳田国男との比較話になり勉強になった。
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