国東町は懐かしい

🔶きょうのFacebookやブログ「掲示板」を見逃された人に、私の控えとして以下を日記冒頭に載せます。


⏹️萩八景遊覧船の梅津栄さん。4月3日と17日にお世話になりました。

梅津さんの船名「くらえ」について質問しましたら以下のように丁寧に教えていただきました。


 おはようございます🙋「くらえ」の意味は萩八景の河港 集落で くらえ「倉江」たまえ「玉江」さくらえ「桜江」こまつえ「小松江」なかつえ「中津江」かみつえ「上津江」の6隻が船名にいずれも八景の和歌集に歌われ「倉江の帰帆」「玉江の秋月」「桜江の暮雪」「小松江の晩鐘」「中津江の夜雨」「上津江の晴嵐」以下「下津江の落雁」「鶴江の夕照」があり全て江戸時代に橋本川と松本川沿岸の情景を取り合わせたものです。


 頂戴した焼酎を昨夜開封した。その前に「どこの焼酎か?」と酒造場をラベルで見たら宮崎県国富町だった。

 前の仕事で「会議録調製について説明に来てくれませんか」と30年ほど昔に電話を受けたのは宮崎県国富町議会事務局だった。九州の地図をひろげて国富町をさがした「来週の月曜日、9時にまいります」と返事をした。


 高速道路はなかった。日曜日の6時に自宅を出て初めての宮崎県を目指した。当時、九州の一番遠い契約先は大分県国東半島までだった。

 国道10号線、大分県と宮崎県の県境「宗太郎峠」を越えて延岡市。宮崎市までは左に太平洋を見ながら、水平線は感動した。

 畜産県らしく右側には養鶏、養豚に牛舎があり臭ってきた。


 宮崎市内に着いたのは夕方6時。「ホテルレマン」の案内看板にしたがってレマンホテルに着いた。一階に居酒屋「ぼくと」がありそのころは「百年の孤独(今は高価らしい)」が安くキープできた。肉も魚料理は安くて旨い!「イワシの尾びき」は三枚におろした小ぶりのイワシ半身がひかずに出てきた「3馬力」を頼んだら鶏・牛に豚のレアだった。カジキマグロの大トロは最高!


 以後、レマンホテルに年間50泊したこともあった。宮崎県内33町村議会の全部を数年で契約した。それを足掛かりに宮崎市や都城市の契約もできて鹿児島県に足をのばした。


 沖縄以外、九州全部県下を走りまわり売上をどんどんあげることが喜びだった当時を思いだして美味しく飲んだ。


 連休の火曜日は山口市内。変則的な配達を元気いっぱい終えた。