淳貴君からの初LINE紹介

私のスケジュール。今週の山場は木曜日でなく金曜日。


スペシャルオリンピックス下関の新本さん親子と田島さん親子それと金剛住器の木村社長夫妻と私の7人で話し合いをした。場所は長府の「あけぼの珈琲ひと部屋貸し切り」


話し合いテーマは漠然と「障がい者(児)の就労・社会での自立」のようなこと。私にできるスペシャルオリンピックスとの関わりをを模索しながら毎週水曜日「ちょぼハウス」に通い「たまご」でお手伝いスペシャルエッグをすすめている。


そのなかで昨年9月16日(きょうの掲示板)清水千代美さんFacebook投稿の一枚。ちょぼハウスのトイレにむかう清水さんが撮った一枚。その日私もその姿を見てお名前を聞いた「新本(しんもと)」さん。

そのご縁でご長男のプロフィールが少しずつわかった。パステル画を描いている。その作品が秋の下関市秋の美術展に出品。松村御大の50号「ふく」力作を鑑賞に通っている。家内と下関市美術館に行き「ふく」と新本淳貴君の「前髪」に出会った。


その後、淳貴君がLINEを使えることがわかりLINEアプリをインストールして私のLINEコードをスクリーンショットして7ELEVENのマルチコピーで写真でプリントアウト、それをコピー機で何枚か複写した。その一枚を新本さん渡した。お互い顔も知らない最初のLINEが淳貴君から届いた。その初メールを日記に刻みます。


淳貴君の作品がInstagram(https://instagram.com/atsuki_0421?igshid=fij3xcfkwckk)にアップしていると聞いて、今度はInstagramアプリをインストールして彼の作品を見て返信するという古希には難題のInstagramに挑戦をはじめた。淳貴君の作品投稿に「👍」を押したいがわからない。コメントをしたいがわからない。それを淳貴君が私にLINEでリードしてくれる。


淳貴君が私の身近になり、そのなかでポストカードをつくるということにも発展した。


木村社長とは中越地震で松村御大肝いりで「ふく鍋」炊き出しにバスで向かったときご縁ができた。その後、木村社長は私と同じ神様に手をあわせている人とわかった。


木村社長ご自宅に近いところに田島さん。ぜひ木村さんとご縁をつなぎたいと願っていた。近いということと木村社長の会社に障がいのある方が左官職人として20年近く働いておられていたことも存じ上げていた。


スペシャルオリンピックスのプログラムで成長する。その彼らが社会に出て生き抜いていく。両親はその姿を最後まで見届けることことはできない。


母が要介護5だった。定期的に審査がありそのとき母はしっかり受け答えができて3になった。

3は自宅介護に「格下げ?」になる。5で受けていた制度から外れる。たまたまの3であっても自宅になった。無理なのでサービス付き介護住宅(月20万円)に入れてもらった。


障がいを持った子どもに、ひとつでも「できること」を親は懸命に教えて育てる。けれども障害者年金を受給する審査では「できないこと」のほうがランクがよくなる。


そんなことは枚挙にいとまがない。


遠い親戚づきあいからはじめたらよいと私は淳貴君と毎日をおくっている。そんなことを話した。


午後から、縄田牧子さんのご案内ご紹介で切り絵作家の村井辰之さんの工房を訪れた。

村井先生プロフィールや作品の紹介はまたの機会にしっかりと。


掲示板更新します。