母から思わされたこと

菊川画廊さんのFacebook投稿写真の一枚。

松田正平画「蝶々」6号


作品のどこがよいのか私は理解できなかったので菊川さんにそれを言った。

背景に様々な色彩があり、角度をかえたり距離をかえて観賞しているうちに蝶々が飛ぶとみちびいてくださった作品。


そうとう前、故人になられた潘麗星さんがこの「蝶々」を所蔵しておられ菊川さんの目にとまった。買わせてもらえないかと頼んだら「あなたが買える値段ではない」と一笑された。ならば写真を撮らせてほしいと一枚。それを枕元において楽しんだ。

年月が過ぎてある方が画廊を訪れた。その方の関係者(菊川さんご存じ)が亡くなられる末期に「あの作品、値段はなんぼでもよいから菊川さんに譲ってくれ」と言い残された。

いま菊川画廊の所蔵になっている。潘さんが作品を手放すとき「もし、あなたが手放すことになったら菊川さんに」と話されたのではなかろうか。


開催の常設展。どの作品にも菊川さんの物語がある。

敷居はひくいです。どうぞ本物を観賞してください。


便座の調子が悪くなり水漏れをしていた。それと水洗の水タンクに貯まる水の量が少なく、私だけのときはよいが人数が増えると続けて使えない。

その両方を水曜日、金剛住器の木村社長と社員さんで工事を終えてもらった。

配管、いまは使えるがほどなくトラブルになりそうな箇所もすべてステンレス製品に交換してくださり「30年は使えます」と太鼓判。そのとき木村社長も私も黄泉の国。


風呂とトイレ一体型。私の掃除道具を駆使して磨いてきた。しかし、今回の便座など工事で気がつかなかった場所の汚れを見た。


土曜日の配達からお昼に戻り納得ができる掃除をした。気がつかなかったというのは、掃除をする私の視点がよくない。積極的な掃除ではない、積極的な掃除ができると積極的な生活ができる。掃除は生活姿勢のバロメーター。


5年前、96歳でお国替えした母の5年祭。6月に金光教太秦教会でお仕えいただく。母が喜んでくれるお祭りにしたいといつも考えていた。

昨夜、布団のなかで母からそのヒントをもらった。思わされた。


母は生い立ちと私の出生をほとんど語らなかった。

出雲平野の簸川町で生をうけ、9人兄弟の長女。14歳下の妹だけ兵庫県で生活している。

松江の商家に奉公にだされ、兄弟との縁はうすい。商家が中国青島に出たときつれて行かれ母は中国語ができた。

その異国で私を認知した男性とご縁があり、誰ひとり知り合いのない宇部に単身きた。


私が調べたことは、家内も子供たちも知らない。私の父親の墓にも参った。

わずかな母の写真と、ノート5冊の俳句を整理し、母との会話とくに末期には過去の話をした。それを「家族には伝えてくれ」と母が願っているように思わされた。