ワープロの思い出

写真は38年前に富士通が世に出した初代日本語ワードプロセッサ「オアシス100」。半年前に東芝が日本初のワープロ「JW10(650万円)」を発売した。

会議録の調製会社「ぎじろくセンター」を創業して、手書きから文書作成装置(ワープロ)に転換したのは富士通だった。


週刊誌の広告に資料請求ハガキがあったので投函した。今でも親交のふかい、富士通関連会社の上田部長がカタログをもって、自宅の庭にこしらえたプレハブハウスの本社をさがしてこられた。社員は家内(無給)と女性1名。

おそらく山口県内では一番早いオアシスユーザーとなった。左のフロッピーは文書作成では「文書フロッピー」を入れ、プリントするときは「印刷フロッピー」を入れた。右の文書フロッピーは8インチ1メガバイト(文字数換算で1000文字容量)それで約300万円だった。


先日、ぎじろくセンター 白井社長が来園。今月末に創業40年の記念行事をする。創業から20年まで社長だった私に感謝の品を下さった。


私が辞めて農園をはじめて数年後に市町村合併の嵐がおきた。私が辞めたときには200自治体以上、会議録の契約をしていたが、その数は激減したと思う。さらに同業者間の生き残りをかけた営業合戦が繰り広げられた。

私ならば果たして乗りきったであろうかと思うなかを、白井社長はここまで歩みを続けてこられた。私こそ白井社長に感謝の気持ちがある。


きのう、唐戸魚市場でカツオのたたき半身。あさりひと袋を買った。疲れて戻ってクーラーボックスから家内に渡して夕飯になった。お腹が満足でよく眠れた。


今朝は元気に起きて8時まで農園内の仕事をして山口市。散髪と簡保の湯。お昼に缶2本飲んで熟睡した。


『心配するだけでは・・・』


 最近読んだ本の中で、次の一節が目に止まりました。「ただ一人の人に正しいことをするよりも、幾千の人たちのことを心配することの方が楽である」。

 たしかに、ただ心配するだけならば、たとえ相手が何百万人いようと難しいことではありません。しかし、一人でも実際に救うとなると大変です。

 この大変なことをしなければ、世の中はよくなりません。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)