ナザレ園の思い出

月始めの楽しみは、極楽寺の掲示伝道の今月版を見ること。今朝7時半に5月を撮った。


きのう鍵山記念館で岡本さん、藤野先生方と話題になった韓国慶州ナザレ園について思い出したことを書き留めておきたい。


約24年前、鍵山イエローハット社長とはじめて面会した。そのおり私が一番本気で取り組んでいることを尋ねられ、ずいぶん前から毎年2月に訪問団を組んでナザレ園慰問の船旅をしていることを申し上げた。それを始めた理由を聞かれた「ナザレの愛(曖昧な記憶)」というビデオを観て始めましたと答えた。そのビデオは鍵山先生が制作された作品だった。お互いたいへん驚いた。


故人となられた礒村千代子先生に会ったときナザレ園に行きたいが、海外に行った経験がないので不安と言うと。小学校在職中に釜山小学校(生徒5000人)で副校長をされていた李 政基(り・じょんぎ)先生と交流があるので紹介しましょうとなった。

李先生は京都大学ご卒業だと記憶している。森 信三先生の実践人に加わっておられ、日本中の小学校で講演されているようなお方だった。先生曰く「韓国人の実践人は僕だけです」と。


釜山港でお会いしてバスでナザレ園まで90分。李先生が同行のため園長の宋 美虎(そん・みほう)さんが歓待してくださり、園の経緯など特別詳細にご説明をいただいた。

以後、14回訪問団を組織して寒い2月が訪問される方が少ないのですぺて2月に慰問した。

荒れる海を渡る船内で余興の練習をしたことなど思いでがたくさんある。


ナザレ園創設者の金 龍成先生ご夫妻来日のとき、鍵山先生の計画で南九州観光の宿などすべては鹿児島の鎌田社長。大分県や福岡などは鍵山先生手配。車の運転手は私に決まった。金先生ご夫妻と宋 美虎園長の3名を乗せて九州観光をした。