寒波到来の月曜日

厚狭の妙徳寺(日蓮宗)境内を撮った。

お昼の配達時、寒風のなかガンゼキで落葉を集めるご長男と会話。

🔶水行のスタートとゴールはいつですか「11月から2月まで、100日続きます」🔶時間はいつごろ「朝のお勤めが終わって8時ごろ」🔶昨夜からの水ですか「はい、寒いときは凍ります。割れないときは中止です。裸に下帯ひとつでやります」


ガンゼキの手をとめてハツラツと応えていただいた。寒中、南無妙法蓮華を唱えながら地域の幸せを祈り夜中に歩かれる行もこれから。

凛として地域と共に歩まれる。


若いとき金光教沖縄遺骨収集奉仕団に何年も参観した。糸満付近の公共の宿や、那覇市内のホテルが定宿だった。夕食に泡盛をしこたま楽しんだ。日蓮宗の皆さん(ご高齢)は糸満の公民館に寝泊まりしておられた。


きのう夕食は腹5分目で8時ごろ寝た。1時に空腹で目が覚めた。眠れないから昨夜の録画「戦慄の記録 インパール(120分)」を観た。

30000人以上が亡くなりその多くは飢餓と病気。負傷兵は40000人以上の地獄。そのアウトラインは知っていたが唖然とした証言ふたつ。


5000人殺せばおとせる!と後方の作戦会議で指揮官の牟田口に進言。5000人はイギリス軍ではなく日本の兵隊の数をを指していた。


今でいうマスコミ、朝日や毎日の従軍記者に偽りの戦況を伝えた担当者。さらに陛下にまでも「勝てる」と報告し続けた陸軍。その上層部の「精神主義」の犠牲となり、白骨街道とまで語られる、倒れた戦友の肉まで食らった過酷な撤退。


さらに、その作戦の責任を誰もとらないこと。


いよいよ冬到来を思わせる月曜日を終えた。