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「命」に向き合う

いまは、世界中で「いま」起きている出来事が映像として茶の間に配信される時代になった。


世界各地で悲惨な戦争があり多くの命が失われている「なんとかならないのか」と胸がしめつけられる。


生きていくうえで「命の終わり」に向き合わざるを得ない。母の命が96歳で消えていく晩年の7年。しだいに命の灯火が小さくなっていくようすに立ち会ってきた。


亡くなる数ヶ月前「延命処置はされますか」と医師から問われた「やりません」と即答した。

私のときもそうしてもらう。


20年ちかく相棒だった愛犬「はなちゃん」は10数年前亡くなった。いまから思えばつらい最後にさせてしまった。


ささいな皮膚病の治療がはじまり、投薬で肝臓と腎臓に負担がかかり、肝臓と腎臓の治療になった。半年ぐらいで40万円ちかくの治療費用を払い。腹水がたまったり大変なことになった。皮膚病から。

最後、食べなくなったのでちかくの獣医さんに診てもらい「栄養剤」を点滴してくださいとお願いした。


そのとき「安楽死」の選択をせまられた。その決心は到底できなかった「最後は苦しむかもわかりませんよ」と栄養剤をうってもらった。


翌日の朝「きょうだろう」と、早朝いつも歩いた道を抱いて歩いた。その気配でわかるのか目をあけて風景をしっかり眺めた。16㎏の体重が6㎏になっていた。


金曜日、周南市の配達をしている午後3時に家内から電話「はなちゃんが息をしていない」と。その数時間前、苦しそうにしていた。消えていく命に、栄養剤を入れた私が苦しめた。


昨年9月2日、20年ちかく一緒にすごした愛犬ハッピーが逝った。食べなくなり水だけは飲んで5日ぐらい。穏やかに命を終えた。


美祢市の「そらちゃん」昨年の11月7日に余命宣告「もって3ヶ月」を山大獣医学部のCT検査で言い渡され投薬などはされずに終わった。つまり処置なし。


今朝、食べなくなった「そらちゃん」が小走りで私をむかえてくれた。