「命」を考えた

母の人生が終わった場所は、宇部市丸尾の「シーサイド病院」そこに着くまで病院と介護施設を6年出たり入ったりした。


理由は国の介護認定。介護施設に「介護4とか5」で入っているとき審査があり、誕生日などを聞かれてハキハキ間違いなく答えて「3」になり自宅介護を言い渡された。自宅介護は、私夫婦が仕事を辞めて介護に専念すればよかったが、それはできなかった。


介護サービスつき住宅。一部屋ですべてまかせて1か月約20万円。この経験もした。


最後の病院では、足しげくようすを見に通った。

行く道中では顔をみたい、会話を交わしたいと思いがつのっていても、病院に着いてエレベーターの前に立つと、顔を見るのがつらくなった。その繰り返し。


美祢市の「そらちゃん」が雨のなか私を待っている姿を遠くから確認できた。それまでの重たい気持ちが晴れた。


けれども、余命宣告の3ヶ月を過ぎたとはいえ治療はしていない。


例えば73歳をむかえる私に「がん」が見つかったとしたら。生きるためのあらゆる手立てをさがすか。余命は痛みだけはとってもらうか。その選択をする場面があるかもわからない。


「命」を「そらちゃん」が考えさせてくれる。

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コメント: 2
  • #1

    ようこ (月曜日, 19 2月 2024 20:09)

    私も叔母の世話をしており金曜日に病院から老健施設に移ったばかりです。今まで暮らしていた自立型ケアホームの荷物を処分するかどうか迷っています。

  • #2

    あだちですあ (月曜日, 19 2月 2024 22:04)

    ようこさん こんばんは。
    私も、母(享年96歳)が逝くまでのあいだ生きていく制度のなかを、ケアマネさんに教えてもらいながら毎日をすすんでいきました。
    葬儀のあと遺品片付けをしました。以後、私の「モノ」はどんどん減らしています。とてもシンプルになっています。
    お便りありがとうございます。