合気道の「気」について

今朝5時、萩にむかうとき農園の気温は小雨で15度。なまあたたかいと感じた。

お昼まえ、農園にもどったとき小雨の10度。いよいよ上空に寒気がひろがり始めた。


脚をぬくめたら血圧数値がよいことを日記に書いたら、幅10センチぐらい、マジックテープで足首にぐるっと巻くヒートテック素材商品を頂戴した。

その上に靴下を履くと商品は靴下ゴムで隠れる。


夜、湯たんぽ代わりに靴下に「ホカロン貼る」をつけて寝ていたが、その商品であたたかい。


8時半、美祢市で吉野さんお届け。いつも30分ほど私の気になることを話題にして吉野さんから学んでいる。

これまで20年ちかく世界史、日本史にまつわる話題に丁寧に教えてくれた。


今朝は、読みたいと思っている「空海の風景」の空海をテーブルにあげた。

しばらく黙ったあと「昔、司馬遼太郎の空海の風景」を読んだと話し始めた。真言宗を相当詳しく解説してくれた。


さらに吉野さんは数年前から「気」に向き合っている。私はそれを茶化して聞いているぐらい。

吉野さんは合気道6段。美祢市演武場を会場に500円会費(場所使用料)で近隣の人に教えている。その「合気道」の「気」を極めようと精進している。その境地を少し語った。


治療の「気」・武道の「気」・祈りの「気」があると思うようになった。


武道、合気道で技が決まる。つまり、わずかな力で相手を簡単に投げ飛ばすことができるようになった。


祈りの「気」は「あんたは知っているじゃろう」つまり、祈りを凝らしたモノ、場所に「気」が生まれる。

なんでもなかった野仏が手を合わせられる歴史のなかで「気」をまとうようなことかも知れないと思えた。


私の親友。お母さんが毎朝お参りしていた天理教教会に日参している。お母さんが座った畳に座る。そこで親子のいとなみが「気」によってできているのかと思った。


写真は長門市野波瀬港。