残暑の下関をおわった

網戸で快適な夜を過ごした。目があいたらいつもの3時前。4時から動けばよいのでテレビ録画をひとつ観ることにした。


「チェーサーが終わる日」大阪朝鮮学校閉校まで取材したNHK番組。


Facebookで下関朝鮮学校を私はフォローしているのは呉明美さんとのながいお付き合いで。数年前、朝鮮学校にクーラーを設置したいのでと200万円の寄付が学校が投稿された。

朝鮮学校は各種学校という位置づけで国に予算要求はできない。雨漏りもたくさんある教室で子どもたちは学んでいる。政治としてやれること、やれないことがあるとしても、子どもたちが暑い教室で学んでいることに配達先の「てじょん」のお母さんに少額のカンパを預けた。


ブラジル掃除に学ぶ会に参加した。サンパウロに数日滞在してアマゾンやリオデジャネイロ(カーニバル)など遊びまわった。

サンパウロ滞在では日系人が大歓迎してくれ驚いた。心のふるさと日本から来てくれたと、私は沖縄の人に招かれプールのある豪邸に招かれて酔いつぶれた。


韓国慶州ナザレ園に保護されている日本人おばあさん訪問ツアーをたくさん企画した。日本が大好き、死んだら魂は海をこえて日本に帰る。


大阪朝鮮学校の番組は民族の誇り、それは母国以上ではないかと思った。学校の先生はチョゴリ、今の韓国の学校でチョゴリで教える先生はないという。学校で修理や催しでお金が必要になったら同胞の家庭をまわり寄付を募る「うちは、家のことでいっぱい」と言いながら寄付をする。

運動会など学校行事には老若男女が集まり盛り上げる。給食はオモニたちが食材を持ちより賑やかにつくる。


水曜日の下関が終わった。

どこかで昼寝をしたいと車がとめられる木陰をさがしながら走った。東行庵にそれがあり10分ぐらい夢のなか。起きたら蓮の花がひとつ目にとまった。