夢にむかってフライト前の一枚

きのう夕方届いた写真。


20年以上前からおつきあいしている呉明美(お・みょんみ)がお子さん2人をマレーシアの学校に3年間留学させるため福岡空港。長女の美雨(みう)ちゃんと次女のそっちゃん。後ろの男性はパパ。


明美さんの実家は、木曜日に配達している韓国料理店「てじょん」先週のお届けでお孫さんたちとしばらくの別れ、異国で生活の心配などをお母さんは言いながら「マレーシアでの英会話も3人で勉強したから、大きく成長して戻ってくる」と。


「足立さん行ってきます」と写真に添えられた言葉に彼女が子供と夢にむかってフライトする決意が読みとれた。


きょう思いがけない電話があった。

かぼそい声でボソボソ言われ、電話の着信で九州の金光教教会の教師(教会長)はわかっていたが聞き取れない。その電話を奥さまがかわり事情がわかった。


昨年、胃ガンが見つかったときはすでにステージ4。医師は積極的な手術はせずこのままでと言われしたがった。

今年の5月、金光教ご本部。信心を導いてくださった早島教会に体調と相談しながら2泊3日でお参りしました。

農園に行きたいと申していましたが体力が底をついて叶いませんでした。


今朝から「足立さんの声が聴きたいというのでお電話しました」


40歳のころ、金光教早島教会の玉井光雄師(岡山県)にご縁があり、先生のご信心(先生は信心を神人と教えてくださった)に惚れ込み早島通いをはじめた。

そのなかで、玉井先生が教会で話されたこと、講演会に呼ばれて話されたことを録音した。それを文字におこして何冊か出版した。初版は「神様にかみついた話」これだけ困っている人を助けなんだら、神様、ワシはかみつくぞ!と祈りまくったストーリー。


九州の教師で、それはいろいろな事情があり教会存続の危機にたち、教師をやめる覚悟の教師がおると聞いた。ご縁がありその教師に金光教ご本部でお会いした。意気消沈、肩をおとしている教師に「私が尊敬している教師に会ってみないか」と数冊、出版した本を手渡した。


後日「会わせてほしい。事情で岡山までオートバイ(原付)で行くからお願いします」在来線で小郡駅まで来てください。そのあとは私にまかせてください。


小郡駅で合流して早島教会に連れて行った。私は「明日の8時に迎えに来ます」と早島教会の奥さまにお願いして私は倉敷。いつもの居酒屋からスナックを楽しんで定宿のビジネスホテルで轟沈。


翌朝、早島に迎えに行った。

早島から小郡駅まで教師は沈黙。不機嫌なのかわからない。

小郡駅で「着いた」とお別れで握手をしたときはじめて口をひらいた。


両手で私の手を握り、ありがとうございました、教祖に会えましたと泣かれた。

以後、先生は早島教会通いで心か元気になり神様のご用に専念された。


先生は何歳になられましたかと奥さまに聞いたら「81歳です。あれから約30年神様のご用ができました」