とても充実した日曜日になった

3時起床。

5時から6時までEテレ「心の時代」中国語はだしのゲン(10巻)を翻訳された女性を紹介する番組を見終わって草刈正雄に変身。

5時までに犬の世話と私の朝食を済ませ、草刈機や水筒の用意など準備を終えていた。


ショルダー草刈機に竹でも切れるチップソーの刃を着けて広い面積に挑んだ。ゴムキャタピラーのハンマーナイフでこの場所は60分で刈っていたが、イノシシがミミズクの補食で耕したようになり石が地表に浮いてしまって刃が傷むので使えない。


6時から9時までズボンまで汗で濡れる作業をして面積の半分を刈った。年寄りの体力は限界に達してウルトラマン胸の赤ランプ点滅。


シャーワで汗を流しクーラーと扇風機で身体をクールダウン。


本日の第2ステージは、長門市三隅「NPO法人きらり」の代表、村岡さんとスペシャルオリンピックス山口代表理事の松村さんを「挨拶」で引き合わせるミッション。

美祢市で11時に合流できた。松村御大は下関掃除に学ぶ会で内日中学校の掃除を終えて美祢市に来られた。


松村御大が運転手でランチにむかった。魚が旨い店は長門市界隈にたくさんあるが、酒を呑まず魚もないのでFacebookで知った長門市のカレー店に直行。血液型Aの私は、先週の土曜日にお店の場所をしっかり確認していた。

若いお客のなかで高齢の男が二人テーブルを囲んだ。


村岡さんと松村御大とのご挨拶。きょうの一石は大きな波紋になるだろうと予感した。


農園を始めて三隅の村岡さんからたまごの配達の連絡受けて20数年、毎週土曜日にお届けしている。日置農業高校の先生だった記憶はあった。


2ヶ月ほど前、配達に行ったとき村岡さんと立ち話。知的に障害がある人が犯罪を繰り返す社会としての彼らの受け皿を考えている。

その立ち話で村岡さんが描いている夢を実践しておられることを聞いた。

三隅で障害をもった人たちと生きていくさまざまなことを実現しておられる68歳。


村岡先生(農業高校から)私と先生とのご縁は何でしたか?と不躾なことを聞いた。


宇部市床波の長生海岸で昭和17年におきた長生炭坑水非常(水没事故)は183名もの人が亡くなった。その約130人は朝鮮人、中国人や沖縄の人だった。

40歳前だった私は故郷でおきた海底炭坑水没事故のことに関心がおきた。当時、沖縄に戦歿者の戦没者ご遺骨収集奉仕に金光教のひとりとして通っていた。


長生炭坑の水没事故が「強制連行された人(朝鮮人)」だったから謝罪と補償を言う市民団体に、私は「ちがう」という旗を揚げた。


「強制連行」は昭和19年、敗戦まぎわに国内の労働力を補うためにはじまった。長生炭坑水没事故は昭和17年。つまり「募集」で働きに来た外国で「強制」ではない。西岐波小学校の昭和17年の在校生に朝鮮人の生徒はある。家族で働きに来たことは疑いはない。


その私が書いたレポートを、KRYの磯野恭子(取締役)の目にとまり会いに来られた。中国黒竜江省の残留日本の身元引き保証人など社会問題にアンテナをはっていた磯野さんが「長生炭坑」を各地で講演されるようになった。その運転手で私は活躍した。


農業高校教諭だった村岡先生はテレビで磯野さんの長生炭坑を知って「人権教育」にと講演依頼され、その講演で講師運転手の私と出会ったことがきょうわかった。


その後、磯野恭子(やすこ)さんは長生炭坑をテーマにドキュメンタリー番組「海鳴りのうた」をつくり、その年のドキュメンタリー番組として国内最優秀賞を獲得された。


沖縄ご遺骨収集奉仕、スペシャルオリンピックス、掃除に学ぶ会に「たまご」の配達。私が歩んだ人生が「きょう」につながった。