「生きる」「死ぬ」「食べる」を考えている

県立美術館で開催中「佐藤健寿」展覧会のチケット2枚を頂戴した。行きたいと思いながら足を運んでいない私の背中を押してくれた。


開館9時に重枝さんと待ち合わせて入館。

「生きる」「死ぬ」「食べる」を私は作品から強く考えさせられた。

パプアニューギニア原生林で素足で、ほぼ裸で生きている人たち。屈託のない笑顔は幸せの証。各地の葬儀から感じたことは、尊厳をもって死んでいくことが生きる目的のように思った。


25年ぐらい前、唐戸魚市場常務取締役の中尾さんとふたりで内蒙古自治区ハイラルからロシア国境の満州里(マンチュウリ)までホロンバエル草原の旅をした。


宿泊は蒙古族のパオ。到着したら儀式で迎えられ馬乳酒で乾杯。夕食の支度をするらしいので行くと、ヤギの脚を縛り吊るした。苦痛を全く与えないよう首にナイフを入れた。

出てくる血液は一滴もこぼさず容器にうけた。内臓、腸の中身を出した中に血液を流し入れて縛る。それを釜で煮たらソーセージのようになった。ナイフで輪切りにして「どうぞ」と差し出す。

ここは雨が少なく畑はない。蒙古族は草を食べたヤギの血液から野菜の栄養を摂取する。茹でたてはなんとなく食べたが、冷めたら血のにおいがきつかったが野菜がないので食べた。


移動のとき立ち寄った集落の便所。大便をすると下で飼われている豚が大騒ぎで食べに集まった。


満州里で鼻水がかたまった顔の少年にお菓子を差し出した。満面の笑みで食べた。おばさんがやってきて大声で私に怒りをぶっつけた。通訳が「この子どもに、お前は、この子どもにここで味わうことができない味を教えた」と怒っている。


沖縄戦没者遺骨収集奉仕に20年ちかく関わった。糸満市摩文仁の海外一帯の密林にご遺骨が眠っている。そのガマ(鍾乳洞)にある遺骨と、地域の人たちが死者を弔う風葬の遺骨をしっかり見極めなければならない。

死者は風葬という自然に骨になるまで置かれ、骨になったら海水で浄め泡盛で浄めて大きな亀甲墓におさめる。


私たちが生活している世の中は経済が優先。人間として大切なことを置き去りにしていると思った。