藤中さんから宝物を頂戴した

水曜日は長府の藤中さんお届け。お知り合いに紹介してくださり毎週たくさん届けている。


この作品を農園に飾ってくれと「駄菓子屋」を頂戴した。この作品がご縁で藤中さんと親交が5年前から始まった。


岡本拓也さんの「ガッツ体操教室の体育館」に掛かっていたこの作品を見た瞬間。私は上宇部中学時代にタイムスリップした。


教念寺の前に「池田」の駄菓子屋があった。小太りで腰がまがったばあちゃんが店番をしていた。その店の間口の大きさや並んでいる駄菓子は記憶の底のものと同じに見えた。

拓也さんに作者を聞いた。さいわいFacebookを使っている長府の藤中さんだったのでメッセンジャーで「お会いしたい」とそのわけを長々書いて送信した。長府の「あけぼの珈琲」でお会いすることができた。私と同じ1951年(卯)だった。


以来、藤中さんとのお付き合いは深まった。そのことはまたにする。


「池田」で私は万引きを数回やった。手口は、ばあちゃんに表の量り売りの「よこずな」などを数品頼んでばあちゃんが足をひきずりながら紙袋に入れているとき奥のチョコレートなどを上着とズボンのポケットに詰め込んだ。

母はおやつは買わない、買えない家計だったので豪華に食べた。それを悪いことだからやめようと思ったのはばあちゃんの笑顔だった。


それが見つかって叱られたほうがよかった。ずっとあの笑顔が胸のおくにあり、とうとう高校のときアルバイトで稼いだお金をもって「池田」に行った。店は廃業していた。


ばあちゃんの笑顔が私の背筋をシャンとしてくれた。


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