母を偲んだ木曜日

私の母誕生日は大正8年2月16日。

この時代に生まれた男も女も激動の歴史を生きた。


母は33年、山大工学部で電話交換手から用務員として働いた。毎月15日が俸給日。とにかく倹約生活だった。

足が大きくなり靴が窮屈でも「もう少し辛抱して」ズボンが窮屈になり座ったら股が裂けた。明くる朝、裂けた股に靴下のゴムのところが縫い付けてあった伸縮性ばっちり。

鏡台にはマッチ箱があった。マッチを擦って火をつけて燃えているとき吹き消しそれが眉墨。無駄に電気を使うと「国の損になる」と叱られた。


火曜日にSmileBag案内チラシを500枚受け取り配達先でその目的を説明しながら手渡している。もう手元にほとんど残っていない。

明朝、追加で100枚受け取りに糸賀さんオフィスに行く。

500枚の制作に、木曜日現在で170枚の予約を頂戴した。