ビジョビジョ物語

新本淳貴君と毎日短いLINEを楽しんでいる。


今週火曜日の朝、挨拶に海響館のペンギン写真を添えた。即座に「海響館に行ったことありますか」と返った「何度も行きましたよ、イルカのショーでびじょびじょに濡れました」と返信したら「ぼくもビジョビジョが大好きです」と届いた。


私はびじょびじょになろうとは知らずに前列だった。海水を浴びて最悪になった。淳貴君はそれが大好き。


豊田町の滝に遊びに行った写真は普段着のまま満面の笑みで滝つぼダイブを楽しんでいた。

お母さん「淳貴は水に濡れるのが大好きで着替えを用意しています」と言われた。


「ビジョビジョ大好き」をきのうから考えた。


私の子育ては「そこは濡れるから」とイルカを間近に見たい子供を濡れない場所に連れて行くような親だった。海水で服が濡れたら親が困るから。


ところがスペシャルの親たちは障がいをもった子供に「いけん」「やめなさい」は言わない。私は親として「しつけ」と思って「いけん」「やめなさい」を言い続けた。私の母も私をそうして育てた。


水曜日の「ちょぼハウス」でダウン症のお子さんをもっておられるお母さんに火曜日からのモヤモヤを話した。

答えは、親が「しつけ」と思って、この場は静かにしておけと制したらそのことに反発する。それを言わなかったら、その場の空気を読むことはできる。


淳貴君の作品「前髪」を下関美術館で見たとき「なんで?」と正直思った。作品はラクダを正面から見たもので普通なら「ラクダの顔」ぐらいになる。

それを「ラクダの顔でしょう」と親が口を出すと描くことをおそらくやめたと思う。


育てることは子供を肯定する親の力量。私にそれがなかった。


下関「ふくいテニスくらぶ」は水曜日の10時すぎ。