麗美さん作品に私の思い出を添えて

呉明美さん麗美さんの実家は、韓国料理「おうちレストランてじょん」です。最新ホームページがあるのかもわかりませんが、このホームページをご覧ください。

https://daejeon3.wixsite.com/daejeon

「ご挨拶」の画面は彼女たちご両親です。お父さんは故人になりました。美男子ですね。


住まいのなかにレストランのスペースをつくられたので「おうちレストラン」です。25人ぐらい座れますが20人ぐらいがよいでしょう。


貸しきって美味しい料理とサプライズの明美さん登場でカヤグム演奏と歌声に酔ったことが2度あります。その他、黄栄作さんと食べて飲んで酔ったことも何度かあります。とにかく酔うのです。


家族がレストランのスタッフですからお父さんもお給仕に動員されます。グラスをすすめてもお父さんは給仕のときで呑まれませんでしたが笑顔で話にくわわってくれました。


金融関係の仕事で倉敷時代があったと話された。

私はその倉敷近く、金光教本部の近くで「金光出版」を創業して毎週金曜日から日曜日はそこで仕事をしていた。宿は新倉敷駅界隈か福山市内の両方を気分で使い分けていた。


新倉敷のホテルのときは玉島のホルモン屋「ポプラ」メニューはホルモンしかない。それが絶品の味で松田聖子に似ている愛想抜群の姉ちゃんの店。ホルモンとビールにどんぶり飯。駅近くの焼き鳥屋も常連だった。

大男で顔はこわい店主を相手に閉店まで呑んだ。店主は酒は呑まない。酔った私をホテルまで歩いて送ってくれた。そのあとロビーで偉大な金日成の講演が延々とはじまった。


「てじょん」のお父さんはホルモン屋も焼き鳥屋も常連だった。とりわけ焼き鳥屋が地域整備で移転のとき融資で支えた知った。


その焼き鳥屋店主夫妻。わたしが「しんあい農園」を始める直前にお祝いの布団を積んで倉敷から来てくれた。お祝いに布団を贈る風習がある。金糸銀糸の派手な布団は使わないまま。


ホルモン屋か焼き鳥屋で酔っぱらった私の近くにお父さんがおったかもで話題は盛り上がった。


木曜日、下関に向かう5時半は暖房をつけてスタートした。午後からはそれが冷房になった。


家族LINEで家内の弁当を娘たちに公開している。先日からブログ「掲示板」の末尾に弁当を載せている。


下関のお届け先での会話。


あの弁当は子供たちにはつくりたいと思うが、主人にはねー。


明日は「あだち美術館」更新します。JR美祢線あつ駅をご紹介。