小鹿田焼の思い出

きょうの掲示板に載せています
きょうの掲示板に載せています

きのう川土手の草刈り。2時間、斜面で重い旧式草刈機を担いだ。その疲れが今朝もなんとなく残っている。体力の衰えを感じながら布団をあげた。


親戚や知人のお悔やみごとが、お祝いごとをこえるようになった70歳。働き続けて人生のゴールを迎えたい。


デザイナー・画家の石原忠幸先生が「一泊で、どこか風景のよいところを案内してくれませんか」と。当時の私は零細でも社長だった。その私を運転手になって案内してほしい。それも手弁当で「明日から」と。


ある時も「新幹線で小郡に着きます」と前日に電話があった。迎えに行くと「駅の近くに知り合いはないか」と言われたので理由を聞いた「ヒノキの伐採を終えた山を焼き、そこに大根を植えた漬け物を持ってきた」それを冷蔵庫に入れてドライブに出発したいと説明された。駅の近くに知り合いは何人かあったが「知り合いはありません」と面倒な要求を断った。


大分県日田市小鹿田をご案内した。その日、どこで泊まったか記憶にないが、その漬け物を冷やすために先生が自動販売機で買った飲み物の缶が帰るまでにたくさん転がった。


そのお漬け物は、銀座漬物の老舗「若菜」の商品で包装紙は石原先生が手がけたものだった。


芸術の世界に生きる人は世間の常識ではかれないと実感した。


小鹿田の里が作品になった。