ぎじろくセンターの思い出

写真の説明


Facebookに株式会社ぎじろくセンターが投稿した一枚。


市町村議会会議録は速記者が隣席して符号を使い発言を克明に記録。その象形文字のような符号を日本語に調製する。それを「反訳」という。


速記者は早稲田式が多かったが田鎖式。山口県には毛利式の速記方法があった。毛利式は毛利藩校などで勉学のため藩独自、必要にせまられてつくったと聞いた。


28歳で「株式会社ぎじろくセンター」起業。社員は無報酬の家内だけ。文字起こしをやれば儲かるぐらいで若さで走りだした。


山口県内の市町村を契約していたとき、30歳半ばだった。下松市議会に通いつめて契約できた。契約は事務局職員や局長にその権限はあった。けれどもこの契約で会社の命運を決めたと言っても過言ではない物語がはじまった。


議会事務局には会議録の調製だけに雇用された専門職の中野という方がいた。早稲田式速記方を学ばれペンひとつで生きてこられた職員さん。


録音テープを文字起こしして校正を届けたら眉間にシワがよった「これは何かね!」と。

日本語についての講義が別室で延々とはじまった。読書は好きでも「万葉集を読んだか」と言われて震えた。会議録はそれほど難しいのか!


毎週のように中野さんから呼びつけられ別室がはじまった。中野さんの帳面には下松市の溜め池や踏切名など固有名詞が3000以上も検索可能なインデックスで整理されていた。


他の議会事務局からの校正が終わった朱筆は少ないが、下松市だけは真っ赤になっていた。その修正に手間取った。

ある夏の日曜日、下松市の朱筆を修正するためワープロに向かっていた。暑いのでズボンを脱いでステテコ。缶ビールを飲みながらキーボードを叩いていた。そこに下松市の中野さんがいきなり来られた。


下松市の修正をしている私を叱りつけた。中野さんは、私の会社で足りない(わかっていない)ことを職場では時間が足りないので日曜日に会社に来られた。会社が閉まっていたら私の自宅に来られる予定だった。


その時手にしておられた辞書。国会速記者(衆参130名)が反訳の拠り所にしている「標準用字例」だった。当時、納品していた会議録は、テープ起こしをするオペレーターが持っている岩波などさまざまな国語辞書を使っていたので表記も不統一だった。


例えば、発言は「きょう」なら反訳は「きょう」。発言が「こんにち」なら反訳は「今日」になる。発言が「きのう」なら反訳は「きのう」。「さくじつ」なら「昨日」となる。

つまり発言を間違いなく文字表記をするために国会速記者が毎年かわる時事用語や専門用語などを統一して表記する拠り所がそれだった。


国語や文法を学んだことはない。万葉集も知らないが下松市議会会議録を契約できて会議録の背骨をしっかり理解出来た。


口やかましく言ってもらえる人は恩人だとわかった。


今朝の下関。木曜日にいつもの場所で挨拶をかわすポスティングのご年配に声をかけた「今朝は何軒かね」木曜日と金曜日で600軒。マンション地域は宅配ボックスで楽。けれども木曜日は下関の家々は勾配があり大変。もう30年ちかくやっていると笑顔になった。


唐戸魚市場はきのうの荒天で魚はほとんどなかった。