しんあい農園原点

写真の奥の場所に「しんあい農園」物語がある。


会社をやめて養鶏を始めることを志した。右も左もわからないが「本気でやれば道はひらける」と、好景気時代の波にのって起業して道がひらけた体験の精神論。


その養鶏を始める場をある人が仲介してくれた。かなりの面積があり、記憶では200万円ぐらいを提示された。それには条件がひとつあった。


売り主はもちろん売りたい。けれども入院中の高齢母親がいる。土地売買のことは母親に内緒ですすめたい。


写真奥の山裾の地形がわかるよう業者に頼んで木々の伐採をした。余談、その伐採した木々を業者はパルプ工場に持ち込み収入とした。地形がわかるようになって30万円の請求があった。


電話があった。地域の自治会長から「おたくは、あそこで何をやるそかね」と。


今に思えば48歳、若気の至り。

内緒ですすめたいということもあり地域の人には知らせなかったし、買った場所で何をやろうが法律にふれるのか。ぐらいの勢いだった。


自治会長は「わかった。おやりなさい。が、あそこまでの道は自治会が管理しているから道は使わないようにおやりなさい」だった。


挫折した。この地域でお世話してくださる人(顔役)はどなたかとさがした。その方のお宅を訪ねて養鶏をやりたい理由を話した。

腰をあげてもらえるまで通った。その方のお父さんが末期だった。ふく刺の大皿を「お父さんに」と持参した。

「あんたのおかげで親父は(ふく)を食べてええ往生ができた」とお礼を言われた。


しばらく経って「ワシが地域で一番好きな場所を紹介する」と連れて来られたのが今の場所。

50年前、6軒のお茶農家がここでお茶栽培(川霧が最適)をしていたが厚東川が氾濫し川底の石が栽培地にあがり離農した。

ここで養鶏をやるなら地域の人にはワシが了解を取りつける。


3000坪以上ある6軒の地主の土地。その6軒をさがして売買契約をした。地域の人を集めて挨拶をやれと顔役が段取りした。仕出屋に近隣の人を集めて宴席ももうけた。


手土産も配って宴席の終わりに、地域の古老が「足立さんの前途を祝して万歳三唱をやりますご唱和ください」で終わった。


各方面に挨拶行脚した。あるお寺住職が「あだちか?」と。中学で何度か殴られた先生だった。


顔役が「我が家の菊見にこい」と誘ってもらった。端正込めた大輪の菊が庭にずらりと鎮座。

列席は小学校校長や郵便局長、一番の上座は顔役がお世話になった教師。

コップではなく盃で飲む酒は物足りない。宴たけなわで詩吟が次々に披露の場面になった。私は詩吟はまったくわからない「やれ!」と言われたら裸で踊るぐらいしか持ち合わせていない。

宴の終わりは全員立ち上がり合吟。私は口パクでごまかした。


田舎のしきたりを学ぶ一歩が始まった。その場所を撮った。