24年前の思い出を語りあった

糸賀さんが心のよりどころとして財布におさめていた一枚の紙。色紙ではなく広告かなにかの裏に書かれている。

この書かれた日は山口市内で、当時はYellow Hat鍵山社長をお招きして山口市内で懇親会。私も末席に座っていた。


まだバブルの名残があった時代。私も釣り船を持っていた。故人になった下関でカリスマ美容師(スネイク美容室・尾中オーナーから糸賀さんと同門で厳しい修行を果した)ギャルソン美容室の岡田オーナーが同席されていた。


岡田さんはご家族で何度か農園に来られた。カリスマ美容師らしく大型のドイツ車だった。たのしい酒を酌み交わした。


糸賀さんが今朝その懇親会の思い出を話された。鍵山社長の腕時計が国産品に気がついた岡田さんが「社長、時計は国産品ですか」と言うと鍵山社長は即座に「人の値打ちは時計や車で決まりせん」と。


私も小さいとはいえ釣り船を持って内心それが自慢という時代の中にいた。


糸賀さんの思い出は続いた。


あのころ鍵山さんは何度も山口の掃除会場に来て巡回という役割で全員に声をかけておられた「糸賀さん、夜叉のような顔で便器に向かっていますね」と背中を叩いて激励してもらった。あの場面も私が頑張ってこられた力になっていると。


私も全国各地で鍵山社長とお会いした。私が「この方は」と特別に感じたことは、私のことを一度も、今でも「足立君」とは呼ばれず「さん」で呼んでくださる。私の母や家内のことまでも気にかけていただいた。

私の力量に応じた易しい言葉でご指導いただいた。


四半世紀も前の思い出を今朝は糸賀さんと楽しい会話になった。