ポストカードは人生の宝物

昨年、8月23日に仲間と菊川画廊に行った。その帰り道に新保さんと矢野さんを西岐波海岸にご案内した。


周防灘に出ている2つのコンクリート構造物は、炭鉱用語て「ピーヤ」という。海底炭鉱の坑道に新鮮な空気を送る吸気、汚れた坑内の空気を排気する目的の産業遺構。


昭和17年2月3日。沖のピーヤの向こうで「水非常」と炭鉱で呼ばれる出水事故が早朝6時に起きた。184名の犠牲者のうち130名ちかくが朝鮮半島出身者。

その犠牲者を強制連行された人たちと声をあげる人たちがあり同調する人もいる。

強制連行は確かにあった。終戦まじか19年にはじまった。


悲劇の炭鉱は長生炭鉱。


その日は「大出し」と呼ばれる坑夫たちに過大な採炭ノルマが課せられた。そのため海底から上にあった無煙炭鉱脈にツルハシをあてた。


この年齢になって「冷え症」だったことが血圧測定からわかった。足もとが冷たくなると血圧があがる。


昨夜はむし暑かったので「冷房28度」「ドライモード」に設定したが足が冷える。

全部の窓を網戸で寝た。深夜の1時ごろ激しい物音で目があいた。回収しているアルミ缶の山に動物があたり山が崩れたと思った。

それから暑くて眠れない。長い夜をすごした。


私の手元から淳貴君ポストカードが340セットぐらい動いている。


きょうの山口市内でご注文くださった方がポストカード企画に賛同の気持ちを私に伝えるために待ってくださった「淳貴君のお母さん尊敬します」たまごの配達をしながら感動する会話ができた。これが私の古希。