45歳旬の旅 その一枚が届いた

きのう夕暮れどきエンジン音を響かせてBMWが農園に着いた。ポポラスの仲さんから電話を頂戴していた「牧さんが買い物に立ち寄ってくださいました。これから農園に向かうらしいですよ」と。

宮崎市から大阪に向かう途中でポポラスに寄るとLINEが届いていた。急ぎだろうと土産に清酒一升瓶を持って外で牧君を迎えた。彼から宮崎市銘菓を頂戴した。


彼が農園に立ち寄った目的は一枚の写真だった。

45歳の誕生月(11月)「45歳旬の旅」と銘打って南宮崎駅から歩き始めた。目的地は宇部市で日程は1週間。


あとから知った。陸軍の行軍は装備を担いでいることもあり最大30㎞。東海道五十三次の宿場もおおよそ30㎞きざみ。つまり毎日歩き続けるとして人が歩ける距離はそれぐらい。四国の歩き遍路も同じようである。


私は南宮崎駅を発って延岡市まで10号線を北上。延岡市から高千穂を目指した(このルート50㎞はずっとのぼりだった)高千穂を発ってオウム真理教がベースにしていた久木野村を横断。白装束の信者がたくさんいる中を歩いた。


阿蘇外輪山の頂にたち眼下に阿蘇盆地が広大に広がる絶景だった。

疲労の極限に達しており足首、膝関節に骨盤まで腫れていた。カメラをどこで落としたかもわからない。麓の肥後高森駅まで外輪山からくだる道中に記憶のシャッターをたくさん押した。カメラを失っていたからこそ「この風景を是絶対覚えておきたい」と思った。美しすぎて涙がポロポロこぼれた。

歩いた距離250㎞で挫折。


JR阿蘇高森駅から電車で宇部に戻った。目的は果たせない旬の旅。

宮崎県高鍋町を歩いているとき偶然に牧君が通りすがり撮ってくれた一枚を土産に届けてくれた。

25時を年前の私です。


明日の日曜日。腹を決めていたのは草刈りと桜並木の散水。散水は川にエンジンポンプを据えて軽四トラックの荷台に500㍑タンクを載せて満水にする。その水をバケツで桜にかける。満水を6回やると桜は元気になる。私は約3時間ぐらいバケツ運びで元気を失うが日照りで葉を落としはじめた桜を元気にしたい。


明日の早朝3時ぐらいから小雨の予報になった。お昼まで降ってくれそう。


萩市の配達から戻り草刈りだけ3時間やった。

小雨の明日は温泉の森で「人生の車窓」に時間を費やしたい。