埴生の旧国道2号線沿いに「貝汁」でその名を馳せている
ドライブイン「みちしお」の倍ちかいどんぶり山盛り貝汁。カツオのたたき。ビタのアジ刺身。大阪湾イワシの煮付け。野菜の煮付けなど(覚えていない)がずらりと食卓に並んだ。
180㎞で走る車より、走れるところではアクセルを踏み高速運転が楽しいらしい。ベンツかBMで来るかと思った牧君はトヨタのライトバンで6時に農園に着いた。(不思議なことにゴールド免許)なんと荷室には真っ黒ラブラドール(♂)が乗っていた。生後4ヶ月で20kgが私に飛び付いてきた。頭が前歯に当たった。それでなくても老人の歯になっている。油断をしていた。
特技は泳ぐこと。それがうなずける足の指の大きさに驚いた。40kg以上に成長するらしい。農園の2頭はラブの勢いに圧倒された。
神戸の震災で避難所の浜山小学校で彼と寝起きをともにした。私は当時、仕事で宮崎県に年間50泊することもあった。彼はその宮崎市が出身地で私には理解できる方言を大声で使う若者だった。逆輸入かヤマハの大型バイクだった。
危険はさておいて儲かる仕事が彼の選択肢。神戸に来る前はマグロ船の船員を2年やったと昨夜知った。
出航すれば日本の法律に縛られない、いわば無法の航海でアフリカや南極近辺までマグロを追いかける。
昼間にいざこざをおこした者は寝るとき出刃包丁を枕元に置くほどの船の世界を経験している。腕がいまでも太すぎる。
農園には突然あらわれるが、泊まりは2年ぶりと彼は言った。久しぶりの暴飲暴食を楽しくやった。
震災20年。神戸の催しに彼と前夜から合流した。とても寒い夕暮れ時間に三ノ宮で合流。コンビニに立ち寄り清酒のワンカップを「熱燗にしてくれ」と彼が言うと店員さんは躊躇。アルミのフタを外してチーンしたらできると彼がアドバイス。コンビニおでんと熱燗で暖をとった。
繁華街を大きな声で話ながら歩いていたら花屋の兄ちゃんが飛び出してきた「お兄さん九州どこですか!」と。
久しぶりに聞いた九州のイントネーションに兄ちゃん嬉しかったらしい。
翌朝は寡黙に慰霊行事に5時から参列した。
前の仕事のとき彼から電話「明後日から一緒にインドに行きましょう」とか、数年前は「奥さんとファーストクラスでアメリカに行きませんか支払いでマイルがたまり過ぎて」と。
昨夜もそのマイルで大笑い。
アメリカに夫婦で行く。旅費はタダでも宿泊代はない。ファーストクラスに乗る服もない。英語は「アイアムあペン」ぐらいしか話せない。できれば別府観光ぐらいが。
今朝7時半に佐賀県立ち寄り佐世保のあとは大阪というスケジュールで農園を出た。
長府のポボラスを教えた「この店の美人オーナーは宮崎県綾町生活が長かったから、通訳なしで宮崎弁で会話ができる」と買い物をすすめた。
オーナーの仲さんからLINEで「お見送りするとき親戚に手をふるようだった」と。このLINEで雰囲気が伝わった。
牧君を見送り私は散髪。そのあと糸賀会長オフィスに石原忠幸作品「岐阜県恵那市」をかけに行った。
湯田温泉「温泉の森」10時オープンの一番乗り。運転疲れと昨夜のアルコールをサウナで汗にした。
きょうはカメラは持たなかった。
きのう撮った彦島から望んだ響灘です。
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