半世紀前の記憶に遭遇した下横瀬公民館

4月2日に撮った萩市下横瀬公民館。映画のロケ地だったら田中裕子が野良着で出てきそうな雰囲気だった。

どこかでこの建物と会ったことがあるとずっと思い出していたがわからない。この場所に立ったのは4月がはじめてだから会うことはないのに。


気になるのできのう萩市に入る前に立ち寄った。刑事が現場から解決の糸口を見いだすその雰囲気は的中した。

説明の銘板があった。この建物は明木村図書館として明木にあった。もっと正確にいうと、旧明木村と旧佐々並村が合併して「旭村」が誕生した。生活圏も村民の営みも全く異なる村が合併して全国でも希な村の本庁が2年毎に明木と佐々並に移るということになった。そのことについて詳しいが日記には必要はない。


宇部市恩田小学校校長を定年退職された伊藤英一先生から、いろいろなご縁で目をかけていただいたのは私が20代のころだった。奥さまは智恵子さんと記憶しているが裁判所調停員をされてご夫妻はいつも凛とされていた。

「あだち君、萩まで運転してくれんかね」と英一先生から声がかかると恩田の自宅に迎えに行き一日運転手をした。


萩までの道中、今に思えば維新の史跡を私に教えてくださった。美東の「往還の松」や「金麗社」や「長登銅山」などに立ち寄り「あのね」で歴史講義が長々とはじまった。


明木役場の横に図書館があった。古い建物で私は関心は全くなかった。「あのね。この図書館は図書館学的に日本でも有名な図書館なんじゃ」と「あのね」を連発した。


きのう朝、記憶にあった横瀬公民館に立ち寄りすべてが解決した。鳥肌がたった。

この建物は、明木村役場の側にあったが保存のためにこの地に移築した。つまり、私は実在の場所でこの建物を50年前に見ていた。

伊藤英一先生が「この図書館は」と自慢された司書の名前が刻まれたいた「伊藤新一」と。


きょうの「掲示板」末尾に写真を載せました。


「あだち美術館」小野田市の西山さん家族を一週間掲載します。どうぞお入りください。


今朝は夜明けを待って川土手の草刈り2時間半からはじまった。防府トヨタで車のメンテナンス。終えて私のメンテナンスは湯田温泉「温泉の森」でしっかりできた。