強風で5月の幕があいた

きのうの草刈り疲れを感じることはなく爽快に3時起床。5時半に萩市に向かうまで配達準備に犬と私の朝食などテキパキ動いた。台所と部屋を掃除をし終えたとき小雨。焼却ゴミに火をつけて(焼却場は穴を掘っている)トタン板で雨があたらないようにして農園を出た。


萩市は車が揺れるほどの強風。長門市までの高架道路は日本海からの風が強いので旧道、鎖峠越えで山の中を長門市まで走った。


古希の里程標「人生の車窓」を推敲して加筆訂正してもらいながら毎日の仕事で修正がとまっている。さらに書き留めておきたい項目も残っている。


配達からお昼に戻り4時間かけて修正を終えた。


会議録調製のとき「修文」といわれる作業が業者に任されていた。

例えば「本市の港は」の発言を「高松港は」と手を入れること。

そのような訂正をたくさんしてくださり「私の身になって推敲してもらっている」と感謝しながら修正をした。私の突き放すような文体、クセがよくわかった。


作家の重松清さんが戦没者の日記をアメリカとオーストラリアで見つけてコピーした。連合国は戦場に倒れた日本兵の手記を集めて「日本人」の精神的分析に使った。情報源としての価値もあったのだろう。


その最後の手記を読むには、冷房の効いた東京の部屋では伝わらないものがあると、手記の兵士の最後の地、灼熱のニューギニアの密林にわけ入り日記、遺書を読んだ。

僕は作家という仕事柄、多くの人に読んで貰える作品を世に出しているが。

この手記に綴られている両親や家族、愛する人へ伝える力の足元にも及ばないと言われた。


そのことを下敷きに「車窓」を読んで見るとボケている。つまり誰に読んでもらいたいかの柱が見当たらない。

ここを越えてこそ意味があると思った。


新緑まぶしい5月になりました。

元気に毎日をすごしましょう。