寒波がやってきました

北風で月曜日がはじまった。水曜日から数日農園は氷点下5度の予報になっている。

鶏舎や住居の配水管が凍結で割れないように夜中は排水をして菅のなかの水が凍てつかないようにしている。ポタポタ落ちる水量でも全鶏舎と住居で排水する水量は1t(1000㍑)はゆうにこえる。降雨がなく河から毎日5時間ポンプで井戸の近くに汲み上げた水を散水して井戸の水位をキープしている。そのさなかの寒波は農園にはきびしいが水位も配管も守らなくてはならない。


ゆきちゃん。昨年の冬は暖冬でとくに気をつかわず繋いでいた。きょうは寒さに備えて作業場で繋いで過ごす練習をした。

水曜日、私が農園を出る時間は5時半。氷点下の外に繋いで出ることはできない。出る前に石油ストーブをつけて作業場に愛犬を繋いで出る。その練習をやった。


金曜日、高橋源一郎先生の「飛ぶ教室」をネットラジオで聴いた。

今回の「ヒミツの本棚」は石井光太著(こどもホスピスの奇跡 短い人生の「最後」をつくる)を読みとかれた。


高橋先生がイギリスの子供ホスピスを訪れられたテレビ番組をずいぶん前に観た。

医療現場で完治しないと宣告された子供の親たちがこのホスピスで投薬や手術はしないで普通の生活を医師たちが見守るなかで末期の生活をえらんでいた。子供たちはとても笑顔だった。


そのイギリス訪問のことを織りまぜながら「医療」と「命」を著書から解説をされた。

私が先生の話を聴いて思ったことは「長く生きる」と「深く生きる」だった。


家内は古稀をむかえ私も来年はその歳になる。

例えば私が「癌」を宣告されたときに、この病気は医療を尽くせば治りますかと医師に納得ができるまでたずねて。生存率はとても低いが延命処置をやりましょうと言われたとき「はい」と私は言わない。

それならば投薬など延命処置でベッドで弱っていくよりも、会っておきたい人や行っておきたいところに行く。その充実した日々を過ごしたい。


20年前、三宅島噴火で全島避難のとき高齢の方が都内の病院で最後をむかえるとき、医者は胃ろうなど延命処置を施そうとしたとき家族は断った。島では食べることができなくなったら水だけを飲ませる。それが島のならわし。


寒風のなか皮下脂肪かもわからないが門柱の上の猫は寒くはない様子。