電車に乗ってほんとうによかった

ラジオ番組、高橋源一郎先生の「飛ぶ教室」ひとコマ目は先生が一冊選んだ本を30分で読みとかれる。

昨夜のヒミツの本棚は「82年生まれキム・ジョン(チョ・ナムジュ著)」世界的ベストセラーで映画化もされた作品。けれども私は知らなかった。


昔、ある団体から会合に招かれた。志高く人生を歩もうというようなテーマ。会場は広いお宅の2階だった。会が終わりそれまで一緒だったご婦人がたは宴席の準備をはじめた。料理も手づくりだった。とくに、その地方で「がね」とよばれるワタリガニの大ぶりが一人に1匹ゆで上がってお膳が華やかだった。

熱燗の酒をご婦人たちがお酌をしてまわって宴もたけなわのとき「この女性たちはどこで食事をしているのだろう」と同席でないことが気になり台所に行った。

その台所の板張りに正座して質素な料理に箸をつけておられた。


先日ブログで紹介した「チョリータ(女性を侮蔑の意味でこう呼ぶ南米のある地域)」彼女たちが人生を終えるとき女に生まれてなにも嬉しいことがなかった。それは嫌だとチョリータの代表5人が南米最高峰に登頂した。しかも登山服ではなくチョリータで生きている民族衣装で登頂した。


私の人生中盤から私を育ててくださった磯村千代子先生(故人)阿知須小学校を教員としてスタート。とくに障害をもった子供たちと教育現場で定年までかかわられた。先生の出版をお手伝いしたことでご縁ができた。


先生のことは、書いても話してもいくらでも題材がある。

そのひとつ。宇部で「掃除に学ぶ会」を立ち上げようと奔走していたときどこの学校でもトイレを掃除に使わせてくれなかった。

磯村先生にそれを話したら「よし行こう」と私の車に乗り込み東岐波小学校(磯村先生の地元)校長に直談判で了解を取りつけた。


先生は東岐波地域の戦争未亡人全員と対面され戦後のご苦労を聞き書きされている。そこから「戦争はいけん!」と声をあげ続けた。

「あだち君、歴史はねその時代の庶民が何を食べて、何を着ていたか。そこに歴史があるんよ」と。


「82年生まれキム・ジョン」


2時に目が覚めたので聞き逃しサービスでじっくり聴いていろいろ考えさせられた。


鍵山秀三郎先生にお話をしたいことがあったがいろいろ躊躇していた。

プラットホームに立っているだけでは駄目、電車に乗らなければと「ドタンバの神頼み(サトウサンペイ著)」に背中を押されてお届け物を宅配したあとにお電話を差し上げた。


先ほど先生からお葉書が届いた「心の親戚足立さんへ」いつもの書き出しだった。26日の消印。


電車に乗ってよかった。


今朝6時半の萩市の一枚を添えて。