大好きな木のひとつです

きのうチョリータを紹介した。書き足りなかったことひとつ。


山頂からおりた女性が満面の笑みで「これから怖いものはありません。怖さは全部山においてきたから」と。


愛車の走行距離が今朝で23万㎞をこえた。本来は来年1月に新車と入れ替え(まる4年)の予定を1ヶ月前送りで来月、冬タイヤを装着した新車と交換する。


その愛車で山口市。小郡の7ELEVENでコーヒーを買うときオーナー(女性)が声をかけてくれた「父がなくなりました」と「何歳でしたか」尋ねると「80歳でした」彼女がお父さんと私のご縁を聞かれた。


琴芝駅近くで私は育てられた。私を戸籍で認知した父親が子守りの女性を雇った「あさちゃん」と呼んでいた。あさちゃんは裁縫ができた。当時の私の写真は上下揃いの服にハンチング姿がある。

同じ時代の写真には3人の少年の中に日焼けで上半身裸の私が真ん中。あさちゃんの家で「としちゃん」「たけちゃん」「ゆきちゃん」「あさちゃん」の姉弟。

当時の炭鉱街は探検で楽しかった。炭鉱の大風呂は燃料はあるから無料。地底の採炭場からあがったおじさんたちが炭じんで真っ黒になった身体を洗わずにザブンと入る。炭が落ちたら見事な入れ墨が見える。怖いけれどワクワクした。言葉は荒いがやさしかった。

映画館やパチンコなど赤線街もあった。


その見初の街で「あさちゃん」の家は餅屋だった。大きな「だいがら(餅を足でつく道具)」が活躍して祝いや憂いの注文で忙しかった。


その餅屋の近くに7ELEVENのお父さん。年齢から私より11歳年上。その弟とも餅屋の兄弟と炭鉱街で遊んだ。


その後、見初炭鉱近くの松山町の金光教に私はご縁ができた。教会の少年少女の会は中学1年のときだった。そのリーダーが亡くなられたお父さん。キャンプでたくさん思い出がある。弟は宇部商業高校吹奏楽部で活躍していた。


遠い昔の出来事が時間を越えてよみがえることがある。

私も「よみがえる」側になる。


湯田温泉「温泉の森」1000円で時間無制限で楽しめる。ジャグジー風呂で身体が楽になった。休憩室は足がのばせる椅子がありWi-Fiが使える。「あだち美術館」の更新を風呂あがりに済ませた。


鍵山記念館。私のタブレット師匠の重枝さんが当番。立ち寄っていろいろ教えていただけた。なかでも、私が一番困っているWi-Fi機能は、農園の部屋のなかでポケットWi-Fiとタブレットがつながるところは1ヶ所だけ。タブレットを使うときの電波は部屋の構造で「微弱」それを増幅できる器具を教えてもらえた。さっそくネットで注文した。


写真は私が好きなモミジの木のひとつ。小郡の四十八瀬川沿いです。