ぼつぼつ紙の墓づくり

美祢市の山あい。毛利家の家紋「一文字に三つ星」そのデザインが逆さまに描かれた旗竿が皐月晴れにゆれていた。そのデザインがとても気になりそのお宅を訪ねて聞いた。お婆さんが「渡邊星(紋とは呼ばない)」と教えてくれた。ネットで渡邊星がヒットして多少の由来が理解できた。


Facebookで歴史に詳しい方が。出雲の尼子氏居城、月山富田城攻撃のとき苦戦、敗退のとき毛利元就の甲冑をまとい渡邊通がわずか七騎でしんがりをつとめ討ち死にしたと渡邊一族の活躍を述べておられた。

その方に「渡邊星」の写真を届けたら大きな👍が返った。功績から毛利氏に「星」を賜ったと推測できる。


2日前の木曜日。美祢市の「よしの」でそれを話題にした。読書量がとても多くとくに日本史や西洋史は立体的にうどんづくりと一緒に脳ミソにおさまっている。

即座に、大内義隆が毛利を従えて尼子攻めをやり大敗北をした最初の合戦。大内氏はこの敗北から衰退の道をたどったと。詳しく解説してくれた。


昨夜、大内義隆と毛利元就と尼子氏をネットで調べたら「よしの」さんが解説したとおりが記されていた。

今朝「よしの」にわざわざ立ち寄り「あなたは美祢市の宝」とお礼を言った。


きょうは津和野で猟師さんが熊に襲われたニュース。たしかにイノシシやシカなど数が増えている。それについて、増えているように見えるが山を開いて大規模ソーラーパネルを敷き詰めで発電。そこに道路もつけた。動物が山で生き難い環境にしていることにも原因があると言う人がいた。


来年、元気でおれば来年70歳。

多くの人たちに育てられ支えられた人生をそれまでにふりかえることにこれから舵を切りたい。

見せるためではなく、ふりかえるために人生の節目など文字にしておきたい。

そういう気持ちがふくらんできた。今夜からスタート。