流れる星は生きている

木曜日は6時半に唐戸魚市場。きのうは風があったので鮮魚の水揚げはどうだったのかと思いながら、赤間神宮駐車場から早足で向かった。

一番先に目にとまった「ゆめかさご」場内でこのひと山だけ「腹を出して頭はそのまま!」と兄ちゃんに声をかけてからその他を見て歩いた。もうひと山買ったのはトラフグの皮。冷凍しておけばいろいろ楽しめる。

 

当時7歳。満州新京駅に家族で行って玉音放送を聴いたおばあちゃんが「ころ」から船に乗ったと記憶をたどられた。その「ころ」に私はたどり着いた。そのことを先週「来週、ころがわかるものを持ってくる」と約束した。ネットのプリントアウトは重枝さんがカラープリントアウトしてくれた。

 

おばあちゃんとじいちゃんも私を待ち構えておられた。

葫芦島のプリントアウトを手渡した。大陸からの引き揚げ150万人が集められた葫芦島の概要がこの資料からわかる。敗戦の日本人難民150万人の帰還を果たしたことは世界史にも類を見ないらしい。


まず難民引き揚げ者が帰還船に乗船するまで滞在する建物を建設した。集められた人たちが生きていく最低限の食料提供。医療は整っていなかったのではなかろうか大勢がこの地で埋葬されている。


その葫芦島帰還事業の情報を満州各地で受けた人たちは、葫芦島行きの貨車が出る順番待ちを1年以上家財道具をお金にして食べながら待った。

帰還事業の情報を得ることができなかった人々は徒歩で朝鮮半島38度線をこえる逃避行をされた。そのようなことが想像できた。

 

ばあちゃん「ほんとうに嬉しい」深々と頭をさげられた。幼くして国策にほんろうされ空腹の子供に食べさせる苦労をしたご両親のこと葫芦島からの帰還がよみがえったと思った。


「流れる星は生きている」


この本から私の新京物語がはじまった。