てるてる坊主にお願い

きのう水曜日の配達コース下関市に火曜日の山口市をくわえた。走行距離と走行時間は多くなり7時にはアリナミンを飲んで寝た。


3時に目が覚めて疲れがとれているかとおもったら身体が重い。

木曜日。配達の軒数と走行距離は週の山場の木曜日。下関市内をぐるぐるまわり菊川の配達をして吉田から美祢市のコース。5時半に農園スタートのときは積んだたまごの重さで足回りが重たい。


6時半。今夜の魚を買いに唐戸魚市場。「びた(新鮮)」のアジをさがしたがなかった。カツオの半身のたたき・大阪湾コイワシをひと山買った。

8時前、鮮魚店(魚仲)は地域のお客さまに農園たまごを儲けなしでたくさんお世話にくださっている。早朝の唐戸魚市場で挨拶をしてお店で「なにを買いましたか」で会話がはじまる。


今朝は済州島のサバがあったが買わなかった。買わなかったのは冷凍状態だった(以前は買った)お店に「刺身はできるか」と聞いたら「〆サバならば」と。

サバは地元の北浦なら刺身でいけると魚仲大将。


木曜日のゴールは美祢市「よしの」

私の母が、勤労女子挺身隊に召集されたのは昭和18年ごろ。床屋で男が働くことを禁じられ(学徒動員・すべての成人に赤紙)その男たちの労働の場をおぎなうための挺身隊。

母は25歳で工場で働いた。その班長は高山という尻をさわる男だった。

前の会社で私の右腕だった高山君のお父さんと判明した。


その母は毎月いくらの給金をもらったいたのかを「よしの」に尋ねた。

赤紙召集された男性は、いまの貨幣価値で換算すると五万円ぐらいではなかろうか。挺身隊の女性はわずかな金額だったと思う。


台湾周辺でのアメリカと中国の軍事緊張も「どうですか」と尋ねたら。最悪は局地戦はあるかもわからないが全面戦争にはならない。

局地戦がもしおきたら、船舶の保険がはね上がりそれが全世界の経済(例えばガソリン)などに大きな影響するから局地戦とはいえあったら困る。


うどん屋店主の見識。


明日は宇部市に社会見学。美祢市の小学生が晴天祈願。