5年前、6月15日に96歳でお国替えした母。
写真は85歳を過ぎた元気なころ農園に泊まりにきた。目的は「私の葬式を決めておこう」だった。
出雲で9人姉弟の長女。一人だけ健在だった次女(兵庫県・いまは故人)「鶴子も高齢だから宇部まで来ることはない。一段落して報せてくれ。葬儀は金光教太秦教会の先生(長女嫁ぎ先)に来てもらってほしい。家族だけでよい・棺や祭壇は安いものでよい」など話して、積み立てた葬儀社の証書も持参していた。この写真を遺影で使った。
その後、亡くなるまで7年ほど施設と病院生活。自宅に戻れなかった。
私を宇部で出産した母の年齢は33歳。私を認知した父親は戸籍にあるが顔をみたことはない。母子家庭で育てあげる強い決心があった。
その6年前、母が27歳の昭和20年に宇部は焼夷弾で焼きつくされた。港町の保健所ちかくに家はあったが焼失。炎のなかを生き延びた。
どこに身を寄せたのか、何を食べて生きていたのか。聞いたら「もう忘れた」とシラを切る。父親のこと同様に語ることはなかった。
小学校就学前、夜中に起こされ「死のう」と連れ出された。常盤湖の生ぬるい水のなかに手をひかれた。増水していたのか足に草がまとわりついた記憶はある。
母は私を育てるために30数年、山大工学部の用務員をした。草刈りや便所掃除を黙々とする姿を、講演に来られた湯川秀樹博士に学長が話をしたら「呼んで来なさい」と母は学長室に呼ばれて、博士から激励の色紙を頂戴している。母の部屋を調べたら出てくるかもわからない。
金光教では5年祭を大切にしている。納骨も京都。お参りしたかったが遥拝させていただきますとお祭りはお仕えいただいた。
遺品のなかから日記や俳句がたくさん出てきた。
その一句
振り向いて 無言の挨拶 彼岸花
⏹️「あだち美術館」に母にまつわる3枚をくわえました。
午前中、山口市内のスポット配達。済ませて宇部菊川画廊に足をのばした。
約1時間の滞在。芸術と信仰を中心に勉強させていただいた。
時間を見つけて「美祢市観光」と「萩市観光」ご案内役を引き受けた。
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藤野貴之 (土曜日, 19 9月 2020 07:17)
5年祭が大切なのですね。勉強になりました。
遺族に懐かしむ余裕が少しでる頃なのかもしれませんね。
お母様も喜んでいらっしゃることでしょう。ご心配です。
下関のバ~バラより (土曜日, 19 9月 2020 07:23)
「お国替え」いい響き・・・優しい笑顔と勇気のあるお姿、生き様、感服致しました☆
あだち で (土曜日, 19 9月 2020 08:08)
藤野先生おはようございます。
長女が教会にご縁ができて、そこで祭ってもらえる母は喜んでいると思います。
昨夜は、自宅に「お下がり」として夕食の食材を奮発しました。今、長門市で休暇です。
あだち です (土曜日, 19 9月 2020 08:11)
おはようございます。
コメントありがとうございました。バーバラシャツ、家内はお気に入りでした。
私は、まだ着て歩く決心に至っておりません。
ホースパーク山口さん。水曜日に神田さんにあわせてお預りします。