流れる星は生きている

火曜日の朝は6時半に配達スタート。一週間のなかで一番ゆっくりできる朝。

先月、9頭ものイノシシが捕獲された農園。しばらくイノシシの痕跡がなかったが数日前から新手が徘徊して農園内でミミズを補食しはじめた。耕運機でも手強い地面を鼻で掘り返している。猟師さんもそのことは察知しておられて箱ワナ2ヶ所に餌が山盛り。ゆっくり散歩の愛犬がイノシシの足跡で興奮。


松岡さん(山口市掃除に学ぶ会を立ち上げられた・今は岡本さんが代表)のお宅に配達は8時前。

見覚えのある文庫本を手に私を待っておられた「アマゾンで買いました。藤原ていさんのもう一冊も」と。松岡さんが「流れる星」を読んでみたいと思われたのは、私のFacebook投稿かブログを読まれてのことだと思う。

10時前、山口市内の新保さんお届けでも「流れる星を読みました」と話題になった。


新保さん、矢野さんを7月4日「美祢市観光」にご招待した。スーパーマーケットの駐車場で合流。私の車で向かった最初は神功皇后神社。次はJR厚保駅併設の地域交流ステーション。ここで「泥あげ」という田植えがすんだ地域の女性たち、今でいえば「女子会」が催されており面々のなかに絵手紙の萬代さんがおられた。

次は、白虎隊ゆかりの場所をご案内。とっておきは美祢炭鉱遺構(麦川)の「キーストン」は海軍御用達の無煙炭採掘跡。日本海軍の桜に錨マークが鎮座している。加奈ちゃんのパンを買い込んで「よしの」のうどんで終わった。


その道中、車内での会話で矢野さんが「富士山八号目の山小屋で働いていた」とぽつりと。

私の富士山は新田次郎著「芙蓉の人」新田次郎はペンネームで本名は藤原、奥さまは藤原ていと言うと矢野さん驚かれた。後日のお便り(封書)で「流れる星は生きている(藤原てい著)」をご紹介くださった。


新田次郎はたくさん読んだが藤原ていは読んでいなかった。それをブログに書いたら、庄原市の酒飲み仲間・お掃除仲間・神様仲間の林さんから「流れる星」が届いた。


そのページをめくる前日の木曜日。下関市内日のおばあちゃんが満州引き揚げと知っていたから話題にした「私は新京からの引き揚げです」と。

翌日の金曜日に「流れる星」を読み始めたらそこは新京からはじまった(おばあちゃんは、大事なラジオ放送があると玉音放送を新京駅で聴いていた)。


Facebookとブログで「流れる星」を話題にした。それを松岡さんがキャッチしてくださりアマゾンで求められた。


出版の仕事をしていた。

本は「紙の墓」と思っている。石の墓で手をあわせることは故人が喜んでくれると思う。故人が足跡を活字に遺していたらいつでも故人の息づかいにあうことができる。


96歳でお国替えした母の5年祭を金光教太秦教会で今週お仕えいただく。

その母が、大学ノート数冊に遺した俳句。遺品の整理で見つかった。その文字からなつかしい母がよみがえる。